第36回 日本の吹奏楽発祥の地・妙香寺パイオニア吹奏楽団

コラム

2012年 9月 4日

当団が演奏する音楽のジャンルである吹奏楽は一体いつ誕生したのでしょうか。一般的にはルーツは古代エジプトにあり、ヨーロッパにおいてオスマン・トルコ時代のトルコ軍楽隊で発展した、などといわれていますが、いずれにせよ明確に「何年に誕生した」ということは分かりません。現代のバンドのスタイルが確立したのは20世紀になってからであり、演奏される曲目も現代の作曲家のものが主流ですが、それまでの変遷を見ると歴史の長さが窺えます。

しかし、西洋を中心に発達した吹奏楽が日本にいつ伝わったのかについてははっきりとしており、1869年とされています。ちょうど明治維新直後のことで、西洋から大量に文化が流入してきた頃ですから時代背景としては分かりやすいでしょうか。

そして日本にいつ吹奏楽が伝わったかが分かっているということは、吹奏楽が持ち込まれた地、つまり「日本の吹奏楽発祥の地」もあるということになります。それが横浜市の妙香寺です。妙香寺は平安時代に空海によって創立された寺院で、鎌倉時代に日蓮の影響を受けて宗派を真言宗から日蓮宗に転じました。その後、関東大震災や第2次世界大戦で焼失するという受難もありましたが、その度に再建されて現在に至っています。

横浜市に建つ日本の吹奏楽発祥の地・妙香寺

その妙香寺において日本で最初の吹奏楽の指導を行ったのがイギリス陸軍の軍楽隊長であったジョン・ウィリアム・フェントンです。指導を受けたのは薩摩藩の藩士たちでした。フェントンは吹奏楽を持ち込んだだけでなく、日本に「国歌」という概念をもたらした人物としても知られています。設立間もない明治政府に国歌の重要性を説いたフェントンは、自ら「君が代」の作曲も行いました。ただ、このフェントンの「君が代」は現在歌われているものとは違うもので、当時の評判も芳しいものではなかったようです。とはいえ、日本に吹奏楽だけでなく国歌の概念ももたらしたフェントンの功績は計り知れないものがあるといえるでしょう。

さて、実際に妙香寺に行ってみると、まず山門階段の下にフェントンの功績に因んで「君が代由緒地」の碑が建っているのが分かります。その脇を過ぎて階段を上り、山門をくぐると境内が現われます。境内は小ぢんまりとしたもので、本堂や鐘楼を一目で見渡せるくらいの広さです。現代の吹奏楽の環境に慣れ親しんだものとしてはこんなところで吹奏楽の指導が行われていたとはちょっと想像がつかないようなところですが、当時の日本にはコンサートホールなど存在しなかったわけであり、むしろ本堂のように一定数の奏者が集まることができる場所を持つ寺院が適当だったのかもしれません。

そんな境内を周ると、寺務所の傍に「日本吹奏楽発祥の地」と刻まれた碑が目に入ってきます。この碑は比較的新しく、日本の吹奏楽発祥から120年を記念して1989年に建てられました。碑の文字は薩摩藩主であった島津家の当主・忠秀氏の手によるもので、演奏する薩摩藩士たちの姿も彫刻されています。

妙香寺境内にある「日本吹奏楽発祥の地」の碑

当時を想像するに、薩摩藩士たちにとっては楽器の演奏はおろか、楽譜の読み方すら分からなかったはずであり、フェントンから受けた指導はそれこそ今の小学校の初等音楽教育レベルからであったと思われます。雅楽に代表される日本の伝統音楽とは異なる体系を持つ西洋音楽との出逢いは、正に「未知との遭遇」であったでしょう。それでも日本全体が西洋文化を取り入れることに必死だった当時、吹奏楽をものにすることは西洋諸国に追いつく1つの指標であったのかもしれません。実際、薩摩藩士たちのバンドは翌年には演奏会で人前で演奏するまでになっており、その努力の程が窺えます。

妙香寺では毎年10月の「体育の日」に吹奏楽の発祥を記念して演奏会が行われています。吹奏楽の歴史を思い起こしながら演奏を聴くことができるのはこの地ならではでしょう。たとえ演奏会の時期ではなくとも、もし近くを通る機会があればこの妙香寺にも寄ってみては如何でしょうか。吹奏楽の歴史を感じるひとときを過ごせることと思います。

文責:磨墨

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