第30回 共同創設者の語る黎明期の活動パイオニア吹奏楽団

コラム

2012年 4月 2日

以前、このコラムでは当団の初代団長である角村徹氏へのインタビューを掲載しましたが、実は当団には角村氏と並んで共同創設者というべき存在がいます。それが篠原正頼氏です。今回はその篠原氏に団の初期の活動について語っていただきます。

――― パイオニア吹奏楽団は角村氏と共同で立ち上げた、と聞いていますが。

そうですね。正式に団になる前の同好会活動から一緒になってやりました。ただ、きっかけは角村氏が「吹奏楽をやろう!」と言った一言から始まっています。そういう意味では角村氏が起点だったわけで、私は「会社で楽器が吹ける場所ができたらいいなあ」といったくらいの感覚でした。今思えば私も角村氏の情熱に引っ張られていたのかもしれません。

――― 活動初期の練習は平日中心だったそうですね(注:現在の練習は休日中心)。

最初の頃はまだ団員数も少なかったこともあり、定時後に会社のスタジオでこぢんまりと練習していました。スタジオが使えたのは音響機器メーカーの強みでしょうね。今と違って特定の指導者もおらず、練習もマイペースな感じでした。

ホルンを演奏する篠原氏

――― そうやって練習を積み重ね、初の自主開催の演奏会である第1回ミニコンサートに至るわけですが、実際に演奏会を開くのは大変でしたか。

いろいろと苦労しましたね。初めは演奏会を開くノウハウもあまりなかったので、正直なところ行き当たりばったりでした。選曲をどうするか、宣伝をどうするか、司会は、受付は、写真は・・・と。今では当たり前のようなことばかりですが、自主開催というのはやはり大変だと感じました。

――― 第1回ミニコンサートの様子はどうだったのですか。

会場は当時の所沢事業所の食堂ホールでした。事業所の中なので特にステージがあるわけでもなく、客席も自分たちで椅子を並べて用意しました。正に手作りという感じです。来場者は家族や知り合いを中心に数十人くらいだったでしょうか。発表会レベルの小さな規模でしたが、それでも終わったときには達成感がありました。

――― その第1回ミニコンサートの成功が次につながっていったということですか。

一番大きかったのは聴きに来てくださった方々の反応です。演奏する我々も楽しかったのですが、それ以上に楽しんでいただけているようでした。そういった反応は自分たちの自信にもなりましたし、その後の活動の可能性も感じました。演奏活動の面では正に原点というべき日で、この演奏会があったからこそ今がある、といえますね。

記念すべき第1回ミニコンサートが開かれた所沢事業所
拠点の統廃合により今はもうない

――― そして4回のミニコンサートを経た後の第5回からは定期演奏会として所沢市民文化センター「ミューズ」で開催するようになりました。

団の創設をホップとすると、第1回ミニコンサートがステップ、そしてそのミニコンサートから改称した第5回定期演奏会の開催がジャンプだったといえます。経費の面では負担が増えることになりましたが、本格的なホールを会場とした定期演奏会に移行し、また地域社会への貢献を打ち出したという点で大きな一歩でした。今になって振り返ると、この第5回定期演奏会の開催は第1回ミニコンサートの開催と同等以上の意義があったと思います。

――― 団の今後についてはどうお考えですか。

定期演奏会も20回を超えてそれなりになったと思えますが、人間に例えればやっと成人したくらいです。そう考えると、まだまだだといえますね。自分としても30回、40回ともっと回数を重ねていっていきたいです。

終始控えめながらも心の奥底にある情熱を感じるインタビューでした。角村氏同様、篠原氏も今はパイオニアを退職していますが、団への想いは変わらぬものがあるように感じます。顧問を下りてから長くなるものの、今も団員たちの信望は厚く、まだまだ頼りになる存在です。そうやって頼ることが甘えになってしまわないよう、我々後輩も精進したいものだと思います。

文責:磨墨

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