第14回 初代団長が語る創設時の秘話パイオニア吹奏楽団

コラム

2011年 5月 9日

「活動の記録」にもあるように、当団は1988年に創設されました。創設に当たっては当然「生みの親」とでもいうべき存在がいるものですが、当団の場合は初代団長の角村徹氏がそれに当たります。今回はその角村氏に創設時のことを中心に語っていただきます。

――― パイオニアに吹奏楽団を作ろうと思ったきっかけは何だったのですか。

それまで私はある市民吹奏楽団に入って活動していました。それはそれで良かったのですが、一方で漠然と「会社の仲間とも何かやれたらいいな」と思っていました。そんなときに、たまたま仕事で関わった人が楽器をやっていて自分と同じように思っていると知り、意気投合したのがきっかけです。

――― パイオニアの上層部が作ろうと言ったわけではないのですね。

そうです。もちろん部活動としてやるには会社の理解は必要なのですが、誰かに命令されて作った、とかそういうわけではなく、有志が中心でした。

周りにアドバイスする角村氏(左) 楽器はユーフォニアム

――― 逆に会社の理解を得るのは大変だったのではないですか。

それが意外とそうでもなくて。吹奏楽団を作ろうという話が出たときに、当時の所沢事業所のトップが非常に乗り気で強く後押しをして下さいました。おかげで練習場所や楽器の保管場所などについての相談はしやすかったです。

――― では創設時に苦労したのはどんな点ですか。

やはり人集めですね。当時の事業所の規定で、会社の部活動として認めてもらうためにはまず最低10人の社員が団員として必要ということだったので、それをまずクリアしなければなりませんでした。メールもネットもない頃ですから、楽器をやっていた人がいると聞けばその人のところへ行って口説く、ということを繰り返しました。今から思えばよくそんなパワーがあったものだと思います(笑)。

――― そして団長に就任されたんですね。初期の活動はどんな感じだったのですか。

何もかもが手探りでしたが、とりあえず演奏できる機会を、ということで最初は社内や市内のイベントに参加する形で活動していました。しかし、やっているうちにだんだんと自分たち自身の演奏会をやりたくなり、小規模ながらミニコンサートの開催にこぎつけました。創設から3年目のことです。

創設当時の想いを綴ったボード 今も楽器庫に掲示されている

――― その後しばらくして団長を退かれました。そのときの気持ちは如何でしたか。

ミニコンサートが軌道に乗ったところで一区切りかな、と思いました。いつまでも創設者が団長を務めていたら組織として新陳代謝がされませんから。まあ本音はそろそろ疲れたから誰か代わってくれ、といったところだったんですけれど。今だから言えますけどね(笑)。

――― 今や定期演奏会では優に1000人以上の方々が来場するまでになりましたね。

感慨深いですね。創設時には想像もできなかったことです。定期演奏会の回数も20回を超えましたし。でもまだまだこれからだと思います。自分も若い団員たちに負けずにやっていきたいです。

文面からは分かりづらいかもしれませんが、聞いていて創設者の熱い思いを感じたインタビューでした。企業の吹奏楽団といえども、やはり一人ひとりの志がないと音楽活動には結びつかないものだと改めて感じました。既に角村氏はパイオニアを退職していますが、まだまだ気力旺盛ですので今後も活動を続けることでしょう。そんな大先輩の作ってくれた道を後輩の我々は大切にしたいものだと思います。

文責:磨墨

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