赤星 亨

ブラジル編に参加して "Saudaes do Brasil"

2002年12月30日。
初めてのブラジル(アメリカ大陸)への旅は忘れ物(航空券!)と、なんとか搭乗することができたダラス行きの機上での、白根全さんとの会話で始まった。
「ブラジルはちょうど日本の裏側ですよね?」
「地球に表も裏もない。反対側と言いなさい。」

最初に降り立ったブラジルの場所は、トランジットのため立ち寄ったサンパウロの国際空港だった。まず私の目に留まったのがロビーに設置された巨大なツリー。最初、クリスマスの忘れ物かと思った。これは後にとんでもない誤解だと発覚。以降至る所で目にすることになる新年を祝うデコレーションの最初の出会いとなった。
トランジットの待ち時間を利用して早速アナウンスを録音してみる。

サルヴァドールの空港はサンパウロの空港よりも新しくモダ-ンな雰囲気を漂わせていた。サインや椅子のデザインの良さに皆感心。振り返ってみるとブラジルはカトリック大国であると同時に、デザイン大国であるとの思いが強く残っている。
空港から戸外へ出る際浴びた日射しの強さは忘れ難い。空港からホテルへの道中、初めて見るブラジルの風景は驚きの連続だった。なによりも色彩の氾濫、至る所で目にする耳の形をした公衆電話のブルー、半裸のあるいは水着だけを纏った黒い肌。なんて官能的な街なのだろう!
日本の灰色の街を住処にしている身としては、南特有の明るい色彩を目にするだけで長旅の疲れが吹き飛ぶようだった。ヴィム・ヴェンダースの「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」に登場するハバナの風景にどこか似ているような。サウンドバム/キューバ編に参加された池田さんに聞いてみると、「ハバナでは広告看板を目にしなかった」とのこと。なるほど。

ホテル(ビーチが目の前だなんて、ワォ!)に着いて、一息ついてから夕食へ。ピザを食らい付きながら、カイピリーニャを飲む。ジントニックのような飲み心地。しかしかなり甘口。後で思えば、この選択(カイピリーニャ)は失敗だった。夕食の後参加した年越しイベントで辛い思いをすることに。プレス専用のスペースへ案内されるまでの待ち時間、眠くて眠くてしょうがなかったのだ。
フラフラフラフラ倒れそうになりながら、限界というところでお待ちかねガル・コスタ登場! そこで僕たちもプレス専用スペースへ通される。間近でバイーアが生んだ大スターの歌が聴けて感激。

いよいよ新年のカウントダウン。そのころには眠気もどこかへ消えていた。新年を迎えた際の喜びの爆発は尋常ではないように思えた。そばにいたTVクルーは抱き合って新年を迎えた喜びとこのイベントの成功を身体いっぱいに表していた。あの場に立ち会えた幸運を今でも思い返す。
ガル・コスタの後はガルと同郷で絶大な人気を誇るイヴェッチ・サンガロのステージ。パラパラのようなダンスには興味が持てず。一足先にホテルへ。後で聞いたところによると、岡田さんもフラフラだったそうだ。お疲れさま。

翌日は早朝から教会のミサへ。なんでもイエスが母マリアに一年に一度教会から教会へ会いに行くのだという。今日の儀式はマリアと出会えたイエスの像が舟に乗せられ湾を横切り元居た教会へ戻ることに伴うものだ。
聖歌を皆で合唱している光景と、どうしようもなく皆が歌い出してしまうライブでの光景がどこか重なり合ってしまう。イエスが帰還するまでの間、セントロ地区を散策。壁によじ登ったり、道の真ん中にどんと居座っている巨大なサンタクロースに肝を抜かす。
石畳の坂道の両側にパステルカラーをしたお店が連なる。店先の看板がどれも可愛らしい。エレベーターで上った上町から眺めるトドス・オス・サントス湾の美しさと、足下に拡がるファベイラの落差が印象的だった。

イエスが戻る教会は海沿いで、この儀式のためなのか通りには出店が出ていた。お昼近くで日射しが強い。帰り際、どこで憶えたのだろう、日本人だとわかると「アリガトウゴザイマシタ」と声を掛けて来る輩がいた。
しかし、どこでも音楽は鳴り響いている。昼食はバイーア料理のコーディネイターで本も出しているというダダさんの店へ。洗濯物が干してあるのはディスプレイのようだ。初めて口にするバイーア料理、美味しい!

昼食後はホテルで昼寝ということになったが、水着をちゃっかり持って来ていた寺岡さんと私は、ホテルの前のビーチで海に入ったり、砂浜に寝そべったり。 途中、カポエイラを教えているという兄ちゃんが、カポエイラを教えてやるからアクセサリーを買えと近づいて来る。この男と翌日再会することになるとは思いもよらず。ブラジルに来る前は治安の悪さが気になっていた。しかし、実際に接する現地の人には優しく温かい印象が残った。ビーチでも近くにいた女の子から声を掛けられたり、タオルを置いた場所が危ないとわざわざ注意してくれた人がいたりと親切にしてもらえた。

夕方は昨日のイベントがあったバーハ要塞での元旦初日の入りライブへ。出演はダニエラ・メルクリと彼女の妹そしてレニーニ。このようなライブを毎年無料で楽しめるサルヴァドール市民が羨ましい。老いも若きも皆踊るのが好きだ。このような環境だからこそ優秀なミュージシャンが育ってゆくのだと頷いた。
ライブが終わると晩御飯をとりに中華料理屋へ。途中、物騒な雰囲気が立ち込めていたが、頼もしいガードマンが一緒で安心。この頃にはリーダー格のジョゼや通称「ロナウド」とすっかり打ち解けていた。人なつこいジョゼとお別れの挨拶をするときは寂しい思いがした。Ate logo , Jose !

サルヴァドール滞在3日目は市場の音とりから始まった。怪しい雰囲気。匂い、掛け声、色とりどりの果物、食用の動物たち。クラクラしそうだった。 サルヴァドールはその歴史からアフリカの痕跡をはっきりと留めているのだ。
次はセントロのカポエイラ道場へ。ここでとったカポエイラの音楽はもっとも印象深いものとなった。その音楽はそれ自体で十分成立するようなよく構成されたものであったが、同時にパフォーミング抜きではその音楽自体が考えられないような相互に影響し合う類いのものだった。
彼らのパフォーミングは素晴らしかった。驚くような早さで回転しながら互いにケリを入れる。このとき足と相手の顔の間は数センチしか離れていない。一歩誤れば、骨折、失神等相当なダメージを相手に及ぼす。互いに相手を良く見、音を良く聴いている。 公開パフォーマンスが終わると、mestreは我々の質問攻めに。面白かったのは、NYCで流行ったブレイクダンスの発祥の源がカポエイラにあるという説。

道場を立ち去るとサルヴァドールで一番の劇場内のカフェでランチを。劇場だけあって雰囲気がどこかしらアーティスティック。一旦ホテルへ戻り、午後はおみやげを買いに再びセントロへ。ここでカポエイラで使われるビリンバウとパンデイロをゲット!
残念ながらビリンバウは搬送途中で竿の部分が割れてしまい使い物にならなくなってしまったが、パンデイロは無事に自宅へ持ち帰ることができた。単純な素材と原理でできている楽器だが、実に豊かな音が出る。

例のエレベーター内で壁に額を付けて居眠りするオヤジあり。こっちはてっきり細かい作業でもしているのかと思いきや、ぐっすり眠っている。寺岡さんが「(ブラジルについて)個々人はだらしない、いい加減な印象を受けるのに、総体として社会が上手く機能しているのが面白い」と話していたのが思い出される。全く同感だ。ここでは当たり前の光景として、彼を咎める者などいない。
夜はBale Folclorico da Bahiaのショーを観に行く。演目の中にカポエイラもあったが、まるで曲芸を観ているよう。世界各地でショーを行っているのだろう。

ショーが終わると近くのレストランへ。長い間店内で待たされ、ようやく坂道上のテーブルへと通される。一番低い部分に座られたのは又吉さん。何かをこぼすとみんな又吉さんの方へ流れるね、と軽口を叩いているとそれが後に現実となり、笑うに笑えない。重力の不思議を思う。
夜の戸外だけあって、吹き抜ける潮風が気持ち良い。風のせいか不思議な浮遊感を味わう。川崎さんは浮遊感から時間の話をされる。場所が変わることにより、生きられる時間も変化するのだと。今回日本から持って行っていた管啓次郎の「コロンブスの犬」の中には次のような一節がある。「あたりまえのことだけど、すべての都市は固有の流れをもっている。人口・階層・年齢などといった人間的要素だけではなく、地形・気候といった自然的要素、建築物の設計・配置などの人工的要素の、すべてがかかわって、流れを決定する。」
白根さんはアフリカへ旅をされたときの話をされる。なんでも水が貴重な環境の中で、水の匂いがわかったというのだ。人間が極限的な状況に置かれたときに発揮する潜在的な能力について、御自身も驚かれたという。未だに謎のひと、白根さんからは、ラテン・アメリカにのめり込むようになったきっかけも聞くことができた。矢野顕子と同級でミュージシャンになるのを諦めた、という話はなんとも可笑しい。みんな溶け出しているようだった。
「Oi, amigo」としつこく物売りにやってきたガキんちょ、ビーチで出会ったカポエイラ兄ちゃんとの再会、フォルクローレのバンド演奏。祭の後のような楽しさ。このディナーが、今回のブラジル旅行のハイライトとなった。

ブラジル4日目。サルヴァドールとは今日でお別れだ。午前中身支度、荷物を整理し、空港へ。名残惜しいように街を見つめた。
途中で見かける建物に一様に驚かされる。奇抜なのだ。後でリオを案内していただいた万田さんにブラジルは地震が起こらないと聞かされたのだが、それもあるのだろうか。ここで、サルヴァドールを案内していただいた写真家の松村さんとお別れ。ありがとう、さようなら、松村さん。

夕方になってリオに到着する。アントニオ・カルロス・ジョビンが歌ったような(「ジェット機のサンバ」)心のトキメキは覚えない。この季節では珍しい曇天ということも手伝っているのだろう。ラッシュを避けるようにホテルへ向かう。リオでは北部と南部ではまるで光景が違う。北部にはサルヴァドールでも見たファベイラが連なっている。南部で目を惹いたのは、湖にぬっと立っている巨大なツリー。ブラジル人はやることなすこと半端じゃない。
ホテルへ到着すると休憩の後、街のレストランへディナーを。途中、雨がぽつぽつ降り始め、明日以降の天気が気になる。

リオ滞在2日目、橋を渡り、対岸のニテロイ市へ。ここで思いがけずブラジリアを設計したオスカー・ニーマイヤーの建築物と遭遇することに。ニテロイ市立現代美術館だ。宇宙船のようなファンタスティックな形をしている。岸壁に立つこの美術館のロケーションが素晴らしい。波音が壁によって反響するポイントがあった。設計者も気付いていないだろうねと皆で話す。
その後リオに戻り、魚市場へ。サルヴァドールで体験した市場とはまた趣きが異なっていた。市場の後、セントロ地区へ。街を散策して、お昼に出るパケタ島への船を待つ間、「イパネマの娘」が誕生した場所、「GAROTA de IPANEMA」へ。今回のリオ滞在は、私にとってアントニオ・カルロス・ジョビン詣でのような形となったのだが、その出発点。

お昼になってパケタ島への船に乗り込む。さすがにリゾート地だけあって、観光客が多い。まず腹ごしらえということでレストランへ。 万田さんからブラジル人が食事をする前に口にする言葉を教えてもらう。「Saude , Dinheiro e Amor e Tempo para gastar-os.」日本語に訳すと、「健康、お金、愛そしてこれらを使いこなす時間」といったところだろう。
この言葉はブラジルを象徴するように思えて興味深かった。最後に出て来る「時間」というのがブラジルらしい。そう言えば、僕たちはことあるごとにブラジル・タイムを遅刻の口実にしていたっけ。

馬車に乗って、島を一周。ポッカポッカカタコトカタコトという馬車が刻むリズムが心地よい。2度ほど浜辺に降りてみたが、海は決してきれいとは言い難い。風がなく水が淀むからなのか。しかし、波の音、波の音にかぶさるポルトガル語が気持ち良い。
島を一周して、楽園から再びリオへ。夕食の後、白根さんと僕以外の人はサンバ・ショーへ。その後12時にホテルを出発し、カーニバルの代表的エスコーラ「マンゲイラ」の公開演習を観に行く。カーニバルに賭けるブラジル人の情熱には驚かされる。朝までズンチャカズンチャカ(これじゃ、レゲエか)やりながら、踊り明かすのだ。みんな元気。

リオ滞在3日目、ブラジルに来て6日になる。ブラジル料理は美味とはいえ、さすがに日本食が恋しくなる。パサパサしたインディカ米はいただけない。玄米が恋しい。どことなく、胃が重く食が進まない。
この日の最初の訪問先は、フェイラ。街角で開かれる市だ。万田さんにそそのかされて果物の試し食いをしてみる。ビニールでできた丈夫な手提げ袋を購入する。なぜか市場で目にする安い買物袋が気に入ってしまい、これで3つ目となった。後でこれが大変役に立つことになろうとは、この時点で思いもよらない。野口さん、又吉さんが美味しそうに揚げ餃子風のものを食べている。パステウと言うのだそうだ。寺岡さんと半分にして食べてみる。これが旨い! ブラジルの食べ物で一番美味しく感じたものだ。

次は植物園へ。自由行動となったが、園内が広大でどこから見学すれば良いか見当が付かない。展望台、ジョビンのモニュメント(2つもあった)、それからブラジルの国名の由来となったパウ・ブラジルの木があるポイントをマークし、園内を回ることにした。
植物にあまり関心が無かったことが幸いして、音に集中できた。せせらぎの音、鳥の鳴き声、風にそよぐ竹笹の擦れる音。無意識に気持ち良い音を探している。

植物園見学が終わって、昼食にシュラスコを食べに行く。ところが、僕は食欲が無く、サラダばかり。ブラジルでシュラスコを食い逃すというのも考えものだが、このときはまったく肉を食う気がしなかった。
食事が済むとコルコバードの丘へ。途中、カーニバル時のパレード会場となる「サンボドロモ」に立ち寄る。カーニバル評論家の白根さんの解説と深夜の「マンゲイラ」の公開演習の模様から、実際のパレードの様子が目に浮かぶよう。この会場の設計もオスカー・ニーマイヤーによるもの。
急な斜面を電車で登り、やっとの思いで丘に上って目にした光景はやはり壮観だった。山のような岩が街中に突っ立っている都市など世界広しと言えども、リオをおいて他に無いだろう。曇天気味なのがやはり残念。観光客の多さに少々辟易しながら、相当に疲れていることに気付き、日陰を見つけて横になる。フラフラしながら、電車に乗り込み、来た道を戻る。迎えのワゴンに乗り込む際、足を滑らし、指を切り、血が吹き出す。嫌な予感。車中、気持ちが悪くなり思い切り吐き戻した。このとき、市で買った例の買物袋が役に立つ。今でも原因はわからないが、市で口にした果物かヤシの実のジュースが悪かったのではないかと思う。連日の蒸し暑さで相当に弱っていたこともあった。これから帰国後も約1週間に渡り時差ぼけと並行して下痢に悩まされることになる。

ホテルに戻るとベットに横になり、熱を出した同室の寺岡さんと一緒に川崎さんに薬をもらいに行く。夜は昨日訪れた「ガロータ・ヂ・イパネマ」で食事をとり、その後道を挟んだ向いにあるライブハウス「ヴィニシウス・バール」でボッサ・ノヴァのライブ。もちろん、僕は食事無しで水のみ。しかし、アグア・ミネラル(ミネラル・ウォーター)はブラジル滞在最後まで手放せなかった。
ライブはトニ・バレットという人の弾語り。ボッサ・ノヴァ発祥の地だけあって、最初にリオに足を踏み入れた国際空港のロビーでも人の良さそうなオッサンがボッサ・ノヴァを演奏していたっけ。ジョビンの幾つかの曲に心震わせる。

いよいよブラジル滞在最後の日。食事は日本から持参していた玄米クリームや粥のレトルトで済ませる。午前中はベットに横になり、午後から池田さん、寺岡さんとホテルのあるコルコバードからイパネマの方へぶらつく。池田さんと寺岡さんは嬉々としてバスを写真に撮っている。いずれもデザインがユニークであるためだ。
ビーチ沿いの歩道を歩きながら、リオのビーチで過ごせなかったことを心底残念に思う。「ガロータ・ヂ・イパネマ」、「ヴィニシウス・バール」を通り抜け、レコード・ショップ「トッカ・ド・ヴィニシウス」へ。ジョビン詣での最終地だ。店内には所狭しとボッサ・ノヴァに関係した写真が飾ってある。感激!
パシャパシャと観光客丸出しで写真を撮る。後で冷静に考えるとかなり恥ずかしいことをしていたと冷や汗。池田さん、寺岡さんとはここで別れ、僕はガイドにリオ随一の品揃えとあったCDショップ「モダン・サウンド」へとホテルを目指し歩いて行った。

リオはとても歩きやすい街だ。ヨーロッパの街のように通りには一つ一つ名前があり、それがわかりやすく表示されている。「モダン・サウンド」は文字どおりモダーンなショップだった。店内にはオシャレなカフェも設置されている。面白かったのは日本のCDが逆輸入されていたこと。値段が日本の2分の1から3分の1で、ついつい色々なものを買ってしまった。中でもヴィニシウス・ヂ・モライスの詩にペドロ・ヂ・モライス(ヴィニシウスの息子か)の写真を付けた「O MERGULHADOR」という本は質が高く、お気に入りの一冊になった。
予想外に時間をくってしまい、途中走りながら、なんとかホテルへ辿り着いた。ワゴンに乗り込み、空港へ。ここでリオを案内してくださった万田さんとリオに残られる白根さんとお別れ。
ところが、皆とはぐれてしまった僕は一人搭乗ロビーへ。誰も来ていないことを不審に思いながらもおみやげを買いに免税店へ。おみやげを物色していると血相を変えて僕を探していた池田さんにようやく出会う。トイレで倒れているのではないかと皆心配し、港内放送までされたとのこと。出国の際と同様、帰国の際もまたもや白根さんの気を揉ますことになった。穴があったら入りたい気分。これから帰路、サンパウロ経由でニューヨークに向かう。

初めてニューヨークに降り立ったというのにまったく感慨がない。日本から離れて9日経っていた。まるで浦島太郎になったような気分。
ここJFK空港で、ようやく日本で保留しておいたキャッシュをおろし、お金を貸していただいた岡田さんと川崎さんに米ドルにて返金。クレジットカード会社にブラジルでのキャッシュ・ディスペンサーの様子について、確認しておかなかったのは失敗だった。ともあれ、お金を返すことができて一安心。ここから成田へ向けて最後のフライト。

10日ぶりに日本へ戻る。到着ロビーに至る廊下に「おかえりなさい」の文字。外国人の入国と日本人の出国を比較すると、圧倒的に後者の数が多いという。道理で「WELCOME」より「おかえりなさい」の方が目立つのだ。やれやれ。みんな疲れているのか言葉少なにお別れの挨拶、解散。みなさん、ありがとう。また会う日までごきげんよう。さようなら。

ここ2年くらいの間、ブラジルに行くことは私にとって夢であり、課題であった。きっかけは音楽だった。しかし、近年はその混血社会・文化に関心が向いていた。言葉が不自由な身としては、何かのツアーに頼らざるを得ない。そんな私にとって、サウンドバム/ブラジル編はまさに渡りに舟という内容だった。それは同じくサウンドバム初参加であった吉村さんも同じ思いだったようだ。
あの短期間で、これだけ充実した旅ができたのは、旅をコーディネイトされたワイルド・ナビゲーションの宮田さん、サウンドバムのスタッフ、川崎さん、岡田さんそして旅をナビゲートされた白根さん、現地ガイドされた松村さん、万田さんのお陰である。この場を借りて改めて感謝の意を表したい。

最後に。この感想文の副題を「Saudades do Brasil(ブラジルへの郷愁)」とした経緯について、コメントしたい。断っておくが、これはフランスの高名な人類学者クロード・レヴィ=ストロースの写真集から取って来たものである。さらに言えば、レヴィ=ストロースは先行するダリウス・ミヨーが作曲した曲名を借用しているから、言わば孫引きである。このようなちゃちな感想文を名曲や名写真集の名と同じくするのは、おこがましいと言わざるをえない。それでもどうしてもこのタイトルを付けたかった。私は今回の旅でブラジルが本当に好きになったのだ。その思いをこのタイトルに込めたつもりだ。ブラジルの虜になった証として。

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