中川:音は、自分の外側と内側にあります。内側の音といえば、生理機能的にさまざまの音がしてますし、心臓の音もときどき聴こえたりしますよね。それから音は、記憶としてわれわれの中に蓄積しています。われわれは空気を吸い込んで生きているのですけど、同じように音を吸い込んでいるのです。それがすごく薄い膜となって蓄積していく。心の中には、そういった、ちりも積もれば山となるような音の記憶が入ってきているわけです。
中川:必ずしもネガティブにとらえる必要はないと思います。僕自身はガムランのバンドをやっているんですが、ちょうど去年、山の中に古い寒天工場を改築した、80畳ぐらいのスタジオをつくりました。
調べていくとすごくおもしろいのですよ。基本的にはめちゃくちゃ静かなんですよね。平安京にしても奈良の都にしても。それは当たり前で、自動車がないから。その中で調べていくと、これは本にも書いたんですけど、都の人たちが伊豆諸島の火山活動、桜島の火山の爆発の音なんかを聴いているんです。それが記録に残っているんです。ものすごい距離、800キロとか500キロの遠くからの音。いま桜島の火山が爆発しても聴こえない。不可能ですね。僕はそれは、昔の人が遠くの音を聴くということについて訓練されていた、あるいは、そういう技術を持っていたというように考えているわけです。
中川:一昨年、僕が出した本『音は風にのって』(平凡社)に引用したんですけど、「聴く」という字の象形を見てください。人間が耳をいっぱいに押し開いて、遠くの音を熱心に聴いている姿です。これはパラボラアンテナのような形になっていますね。耳そのものなんです。これが聴くという漢字の持っている意味のベーシックな部分です。はるか彼方の音に耳を澄ますということが、聴くことである、ということなんです。
中川:ナニコレ、むちゃくちゃ怖いなと思った(笑)。 オートバイの彼は、もう帰りたいとか言うんですけど、ダメダメと(笑)。中川 真(なかがわしん)
1951年生まれ。京都大学卒業、大阪大学大学院修了(芸術学)。現在、京都市立芸術大学助教授。
専攻は、民族音楽学・サウンドスケープ論・現代音楽論。
著書に『平安京 音の宇宙』(平凡社、1992年)、『音は風にのって』(平凡社、1997年)、編著に『小さな音風景へ--7つのサウンドスケープの旅』(時事通信社、1997年)、共著に『音が織りなすパフォーマンスの世界』(昭和堂、1987年)、『民族芸術学序説』(日本放送出版協会、1987年)、『ポストモダンとエスニック』(勁草書房、1991年)などがある。
サントリー学芸賞、京都音楽賞、小泉文夫音楽賞などを受賞。