木村 ひろみ

処方箋は「サウンドバム」アーネムランドへの旅でした。

宇宙が膨張している、と学生の頃初めて聞いた時、 私はそれなら単純に考えて、昔はもっと密だった、空も星も私たちともっと近かったのだと思いました。 星座、というものを見ると、どうしてこんな形や物語を人は作れたのかと不思議でした。東京の空の下で、どんなに星がよく見える日でも、遠いあっちの星とこっちの小さな星の光を繋げて、大熊座だとか、白鳥座とか、あの複雑な形には結べません。だから、昔はもっと星が空いっぱいに見えて、その光も強かったのではないかと私は思っていました。そして毎日毎日、決して見忘れることができない程、私たちは星に接していたのではないかと。

今回、「オーストラリア・カカドゥ国立公園とアーネムランド」への旅に参加させていただいて、私のその思いはさらに強くなりました。アーネムランドのバワカという場所も、もちろん東京と同じだけ、昔よりは、宇宙という環境との関係は希薄になっているはずです。でもしかし、です。そこには、私のその思いを強くする星の空がありました。

この旅ではいろいろなすばらしいことがありましたが、この一夜のことは、忘れっぽい私自身の為にも、記しておきたいと思います。

それはまず夕暮れから始まりました。 私たちも、私たちがお世話になったアボリジニーの一家の人たちも、みんな夕暮れを見に浜辺に集まっていました。浜辺といっても彼ら一家は、浜辺(ビーチ)に住んでいるのですから、庭に立って眺めていた感じでしょうか。(世界中どこでも人は夕日を見るのが好きなのは面白いですね。) 太陽は、日本で見る夕日よりも、ゆっくり落ちていっているように思いました。頭上の空が昏く青くなってきて、落日の方向、遠い湾の対岸の上空には、4.5日目くらいの太めの三日月と、その下に金星がはっきり見えるようになってきました。アボリジニーの一家が焚き火を始めました。

とうとう太陽が対岸に沈みました。上に低く層をなした雲が、オレンジと紫の縞に発光しています。その向こう岸の海面と、暗く発色した雲の間に閃光が走りました。稲妻です。アッと思う間もなく、今度はこちらの波打ち際が青く光りました。夜光虫! そのシンクロした光の連鎖に軽いショックを感じた時、時空が液体のように、密な一続きの世界に変質したように思えました。その一瞬、私は見えている世界が生きもののように感じました。私たちがまるで巨大なワニの上に立っているような感覚です。 昏くなってもここの鳥たちは眠らず、松陰で晴れやかな声で鳴いています。繰り返す静かな波の音。人々の談笑。気がつくと空一面、びっしりと星が現れていました。

その後も普通に夜が深まっていきました。平気で流れ星が見える空の下、バムのナビゲーターで名コックの川崎さんの幸せな日本食ディナーが、浜にいるみんなにふるまわれました。それから、一家の歌と踊り、イダキ(ディジュリデゥー)の演奏がありました。 決してかたくるしいものではなく、半分ふざけたような感じがする、それでもどうしてあんなにピタッとタイミングが合うのかが不思議でならない歌と踊りでした。女たちは、一家の母、バーバラさんが踊ることが、楽しくて楽しくてたまらない様子で、彼女たちが笑い転げる間に歓迎の宴は終わりました。

その後はもう、眠りの時間です。 バムのスタッフは最初は、私たち2人の女性の参加者の為に、一家の部屋の一室を用意してくれていました。しかし最初から、たぶん外で寝る素晴らしさを知っていた原田さんは、私に「私は外で寝る」と言っていました。私はといえば初めはどうしようかと迷っていました。外で眠れるか(眠るつもりだったので)、自信がありませんでした。時は雨季。12月はオーストラリアの真夏。恐ろしいビーチフライ、そして…。

私も外で寝る覚悟を決めたのは、バーバラさんの一言でした。 元英語の教師だったというバーバラさんの英語は私よりも格段に上手くて、日が落ちてからの一時、私に、海や月、金星や星などを指して、アボリジニの言葉を教えてくれました。そして最後に、「部屋の中は暑いので、もし外で寝たくなったら私の隣に来て寝なさいね」と言ってくれたのです。スタッフを含め男たちは皆外で寝るようですし、原田さんも外と決めています。この一言で私も覚悟を決めました。

女たちは波打ち際に近い所に、男たちはもう少し上の離れた所にと分かれて寝るようでした。私と原田さんは、バーバラさんの横の砂の上にシーツを敷き、毛布を持ってきて、とりあえず寝てみました。 視界に入る満天の星。百万ドルの夜景(それ以上!)が地にではなくて空にありました。見とれてしまって見ても見ても飽きません。 こんなにもすごい星たちを、ここに住み、毎日見ているアボリジニの人たちはどう思っているのか知りたくなり、バーバラさんに、「これらの星たちは私たちを見ていると思うか?」という、ヘンな質問をしてしまったところ、原田さんが、答えやすい質問に変えて助けてくれました。「何か星の話はありますか?」

バーバラさんは、目の前に見えるオリオン座の真ん中の、三つ星の話をしてくれました。

「あの三つ星は、三姉妹で、ある時、ボートを漕いで海へ出て、火を手に入れて帰ってきた。それ以来、私たちは収穫したものを焼いて食べるようになった。」 (この話、私はちゃんと聞き取れず、記憶もあやふやで、原田さんに後から確かめたら、彼女の記憶とも微妙に違うのですが、こんな感じでした。ごめんなさい)

思わず聞けた星の話に感動して、しばらくすると、バーバラさんの足元で寝ていた一家の愛犬パピィが、「ウォー!」と吠えて立ち上がるやいなや、脱兎のごとく波打ち際に走っていきます。「ウー、ウー、ウォ、ウォ、ウォーン!」威嚇の声が響きます。 「この犬はとても賢いの。夜になるとワニと戦うのよ。」と、夕方にバーバラさんが話してくれたとおりです。なんとパピィは、夜になると海から上がってくるという、獰猛な海水ワニから一家を守ってくれているのです。だからバーバラさんは、私たちゲストに自分の横に寝るように、と言ったのです。 ワニを追っ払うと、パピィは再びバーバラさんの足元に戻り、静かに横になります。 一家の人々は皆、ワニに関しては安心して寝ています。 パピィはこの共同体において、必要不可欠な一員なのでした。 自分の存在の意味、役割というものを熟知しているパピィの果敢な行動は、夜中続き、私はその度に、心の中で「すごいなぁ」と呟かずにはいられませんでした。

サウンド・バムの旅、この一夜のメインの音は、 波の音、時折鳴くハイな鳥の声、パピィのダッシュと威嚇する吠声の繰り返し、 バーバラさんの咳の音(バーバラさん喘息なのです)、それからなんといっても蚊の音。と、その蚊避けのスプレーを誰かが使う音。 (蚊避けのスプレーはスタッフや私たちだけでなく、一家の人たちもみんな使うのです)

私たちは浜辺に並んだ餌でもありました。 集まった蚊たちにとっては、なによりの命を繋ぐもの、です。 番犬パピィのいるこの共同体への感動の毛布に包まれつつ、 その上をいく集まった蚊たちの「プ~ン」音攻撃。 私は布団をもう一枚、部屋に戻って借りてきました。 布団から出ているところがないようにと必死の攻防戦で、意識はもう空ろです。 それにしても美しい夜空。布団を頭から被り、時々息をするように顔を出し、星を見ます。時間が経つにつれ、少しづつ星のパターンがずれていきます。

そのうちに、私は波の音の変化に気付きました。 寄せ返しの波の音の幅が徐々に小さくなって、音も小さくなっていきます。 そしてついには、波の音は消えました。 静寂(+蚊の音)。

そして、再び波の音が生まれ、始め小さく、それから、だんだんとしっかりとした波の音に育っていくのを聞きながら、朝が来ました。

「明るくなる前に部屋で休む!」限界の私が起き上がり、部屋に戻ろうとして歩いていくと、キッチンで、やはり眠れなかったに違いない、それでもなんだか清清しい笑顔のこの旅の案内人、阿部さんが、朝食の準備を始めていました。

その日の昼頃に、私たちはこの地を去ったのですが、その直前になって、海にイルカが現れました。イルカの家族がかなり長い間、湾に入っていて遊んでいました。

最後に、この旅を共に過ごしてくれた皆様に感謝を込めて一言。

川崎さん、この旅を企画実現してくれたこと自体、その存在と、音を聴くことを私に思い出させてくれてありがとう。 走っているバスの窓の外とか、歩いている森の中で、目に止まらないようなもの、とても小さなものとかを見つけだす能力に驚きました。バワカでの夕食も最高でした。

岡田さん、いつもさりげなく気づかってくれて、そしてバワカの岩場ではなんともおいしい貝のひもを分けてくれてありがとう。とてもお世話になった気がしています。あんまりみんなに言われて、アキアキだと思いますが、側にいると岡田さんの笑顔がいつのまにか私に伝染していました。存在に感謝です。バーバラさんにも、心を打つ音を聴かせてくれてありがとう。

阿部さん、あなたがいなければ、こんなに楽しい深い旅はできませんでした。私たちを信じてくれて、大事なバワカの友人の家に連れていってくれてありがとう。それから、ダーウインの街では友人の元言語学者の、壊れたヴィトゲンシュタインみたいな(失礼!)魅力的なお父さんにも偶然会わせてくれてありがとう。楽しかった。

原田さん、私が男だったら、きっともう目がハートマーク。インドやインドネシアの女神にも似たその風貌と明晰さ。バワカでの帰りに、イルカラのアートセンターで、お世話になったバーバラさんの編んだカゴを見つけだすその優しい眼力。 そして、準備不足でデジカメのメモリがなくなりすぐに撮れなくなったしまった私の写真の変わりに、沢山のすばらしい旅の写真をコピーして分けてくれた。あの写真、すごい良かったよ。写真にあなたのオーストラリアへの愛が写っていて、みんな息していた。ありがとう。

それから、ワイルド・ナビの宮田さん、昨年私の結構ギリギリの申し込みに応じてくださったお陰で、このすばらしい旅を体験できました。本当に感謝です。そして他の旅行代理店にはない、私の惹かれるツアーをいっぱい作ってくれていてありがとう。きっとまたお世話になると思います。

最後に私に、 この旅で、あなたは相変わらずいたらない無能の女でした。皆さんについていくのがやっとでしたね。目も口も耳もぼーっと開けたまま、何を感じていたか、本当は殆ど思い出せないくらいでしょう。でもこの旅が自分への処方箋だと感じてくれて、申し込んでくれたことありがとう。私は明らかに元気になりました。

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