駒沢 敏器

ミシシッピへの旅

ミシシッピ河のことは誰もが知っているけれど、こと「ミシシッピという場所」になるとほとんど誰も知らない、というのが僕の正直な感想だ。よほどの音楽ファンでもなければ(あるいはフォークナーを初めとするアメリカ南部文学のファン)、ミシシッピに関してはイメージすら湧かないだろう。

それはアメリカ国内であっても同じことで、「わざわざ」ミシシッピに行くなんていう人は、あまりいないのが実情だ。いるとすれば、その人はやはり音楽マニア。別名「ディープ・サウス」というだけあって、国内でもミシシッピは謎と神秘に溢れた場所だ。

しかしそんなミシシッピをゆく旅は、決してマニア向けのものではない。アフリカ直系の黒人料理(ソウルフード)も安くて美味しいし、ナマズのフライも名物だ。どこの街もたいていはひなびて古く、スーパーや雑貨店も往年の名残をとどめている。地味だけれど写真につい撮ってみたくなる光景の連続だ。

自然にもとても恵まれている。まず最も大きな存在はミシシッピ河。歴史の浅いアメリカにあって、この河はアメリカ独自と言える文化を生み出してきた。河が運んだ肥沃な土壌と、その広大な平地に切り開かれた綿花畑。プランテーションの数が国内で群を抜いて多かったため、奴隷解放後もこの地域は多くの黒人労働者を吸いよせた。

そこから必然的に生まれたのが、ロック音楽のルーツ(ないしはジャズも含めた全てのポピュラー音楽)とも言える「ブルース」と「ゴスペル」だった。

このふたつは、実を言うと音楽的にはまったく同じものだ。元々は「黒人霊歌」(オールド・ニグロ・スピリチュアル)と呼ばれ、まだ奴隷制度があった時代、黒人たちは白人の農場主に隠れるようにして、夜中になると付近の森に集まった。そこでは故郷アフリカとほぼ同じドラム・パターンで踊りが催され、現世にいっさいの望みを失った奴隷たちが、死後の来世に向けて呪文を唱えた。この集会は「ブラッシュ・アーバー・ミーティング」と言われている。

その後解放されると、黒人たちは専用の教会を持つにいたった。音やリズムはやや洗練され、アフリカ語をルーツに持つ呪文ではなく、キリスト教の聖書が歌に乗せられるようになった。これが今で言う「ゴスペル」だ。
現在でもミシシッピ州はアメリカで最も教会の多い場所とされ、今回のサウンドバムでも、行く先々で無数とも言えるほどの小さな教会を目にした。ここの人たちにとって、踊りや歌と信仰は切っても切れない間柄にある。

この、教会で皆をひとつにまとめていた音楽がやがて分離して、主にギターの弾き語りとして成立したのが「ブルース」。その辺にある農場から名もない労働者が疲れをいやすためにつま弾かれたチューンは、その後全世界を席巻するロックンロールあるいはR&Bへと引き継がれてゆくのだから面白い。

産声をあげたばかりのブルースの音は、もはや発祥の地であるミシシッピでも、ほとんど残されてはいない。楽器はほぼすべてエレクトリックとなり、ロックに近いサウンドとなっている。
しかしそれでもまだ他の地域で聞くブルースやR&Bと趣が違うのは、日常の楽しみとしての音楽が商業化されていないからだろうか、それともミシシッピに特有の「土地の力」とでも言うような、マジカルな気配がそうさせるのか……この地出身のとあるブルースマンは「ブルースは夜の12時をすぎると、よりブルースらしい妖しさを増してゆく」と語っているが、ぜひともその魔力を、現地に行って肌で感じてほしいと思う。

このミシシッピの旅で最も興味深く、他では味わえない特徴は、やはり音楽と生活の結びつきを目の当たりにするところにあるだろう。
仮にあなたが音楽マニアではなくとも、たとえば教会の礼拝に参加するだけで、「音は生活や祈りのなかから出てくるのだ」ということがわかるはずだ。そのときの新鮮な驚き、喜びに満ちた発見、人どうしの絆は、一般的な旅行ツアーでは絶対に体験できないものだと言っていいかもしれない。そして自分たちがアメリカという超大国に対して持つイメージが、いかに偏った一面的なものなのか、そして都市部発信の情報だけに頼ったものなのかを、感動と共に味わえるだろう。

数多くの黒人奴隷という「負の財産」を国内にかつて抱えたアメリカは、しかしそれ故に自国の文化に「複雑さ」というニュアンスを持つことになった。音楽は言うに及ばず、それは文学に対して影を与え、陰鬱な感情表現をするジャズを生み、生きることの辛さを訴える奥行きをもたらした。
ややもすれば単調で呑気なアメリカという国に、全世界に通用する普遍性を注いだのは、南部の黒人たちが持つ「たましいの懐」なのだと言っていい。

メンフィスを起点にニューオリンズを目指すミシシッピのサウンドバムは、音を通してその奥行きや影の部分を感じ取れるはずだ。都市開発が進まず、いまでも昔とほぼ同じ空気を残す光景は、あなたのちょっとした想像力を働かせさえすればバリエーションに富んだものとなる。
最も開発された国の、最も変わることのない原点の部分。

朝はまばゆいばかりの光が森を指し貫き、昼はのどかな農業地帯をゆき、そして夜には虫のすだきの向こうに永遠のブルースを聴く……いったいそれが「どのような体験」であったのか、その答えは帰国後になっていよいよ、自分が録音した音を部屋で再生することでもたらされるだろう。きらめくばかりのバーボン・ストリートの喧騒の向こう側に、黒人が生まれそして去っていった時間の厚みが亡霊のように感じられてくるはずだ。(2003.12)

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