この10年間、何度も訪れている南スラウェシですが、サウンドバム的な旅は今回が初めてでした。
見慣れた土地で次から次へと新たな発見に遭遇し、ご案内役であるはずの私が真っ先に「音の旅」にはまってしまいました。音をとるというテーマを掲げることで、旅先での体験に広がりと奥行きがうまれ、思い出が立体的になる。
たとえば市場の人々の会話。私の背後で取り交わされているため、ふだんは無意識に聞き落としてしまいがちなひとびとの会話を、マイクはしっかりと拾ってくれていました。
子供(声を押し殺し):「オランダ人だ! オランダ人だ!」
婦人:「韓国人よ」
青年:「こいつは目が細いな」
本人に聞こえないと思うと、みんなけっこう勝手なことを言っているんだなあ。
それにしても私の聴覚は想像以上にセレクティブでした。
川音。音の専門家、川崎さんに「やってごらん」と言われ、川辺にしゃがみ込んで小石で堰き止められできたほんの小さな滝壷の音を拾ってみました。マイクを通して耳に入ってくる「ポチャン、チャポン、チョロチョロ」という音に、今まで自分がイメージしていた川の音というのはこのようないくつもの小さい滝壷の音の集合体だったんだ、視点(聴点?)はマクロにもマイクロにもできたんだと気づきました。
祭の表と裏。歌や踊りで華やぐ(!?)死者儀礼を見ている私たちのすぐそばでは、水牛の生贄にかかる屠殺税の未支払い部分を誰が払うかという現実的な議論が行われていました。トランス状態に誘う音楽と、役人と納税者の会話というあまりにも現実的な場面をいっぺんに取り込む恐るべしマイクのちから。
音を探すためには余計な雑音がしない時間や、場所を探すというのも初めての経験でした。どこの村にでもあるような平凡な竹林で、クルマやバイクが入ってこないからすばらしい風音や鳥の声がとれたりする。 今までは見落としてきたような場所が、突如魅力満点の豪華秘密スポットに変貌する。現地サポーターのマルセル氏は経験豊富なガイドですが、こんな場所でみんなにこれほど喜んでもらって本当にいいのだろうか、と首を傾げていました。
私にとって旅の最大の面白さは「発見」にあります。
旅先で出会うひとびと、見たことのない場所、食べたことのない料理、今まで知らなかった自分自身。私は今回のサウンドバムの旅で、これまでに何度も訪れて見慣れた場所でも、視点を変えたりテーマを追求すると新たな発見がいくつもできるのだということを実感しました。
今後もさまざまな旅を企画し体験することになるでしょうが、サウンドバム的経験はこれからの私の旅に決定的な方向性を指し示すものとなりました。参加された皆さん、またサウンドバム的な発見の旅をやってみたいですね。