大川 観兆杏

実は今回のバムで3回目。すでにマニアでしょうか?
不思議なことに、キューバ行き決定の数カ月まえからも、なぜかキューバに「おいでおいで」といわれているようなことがつづいていた。なので、あたりまえのように参加してしまった。

初めての共産圏&ラテンミュージックの聖地ということで、何かが起きるにちがいないと、かなりわくわく。メキシコからハバナにはいる飛行機の中で、着陸に成功すると客席から「ぱちぱち」と拍手が!わくわく感アップ!

今回滞在した街は、現在の首都「ハバナ」とかつて首都だった「サンティアゴ・デ・クーバ」の二ケ所。個人的には、「サンティアゴ・デ・クーバ」のほうが好きでした。より「洗練されてない感じ」がいいです。

どちらの街にもいえるのは、人があまり多くないことと、まだ完全に観光地化されてないおかげで、のんびり。
建物のいまにもくずれそうな屋上。でもきれいにペイントして楽しんでいるのがわかる。車も古い!排気ガスもくもく!でも大切に乗っている。
やたらケーキ1ホールをハダカでもって歩いている人を見かける。しあわせー。(10歳まで国からバースデーケーキが送られるからでしょうか?)

街のレストランやお茶どころには、ふつうに楽器をもったおじさんたちがいる。おじさん、うまい!
それを聞いて、たえきれなくなったおじさんおばさんが踊り出す。キューバは、「生活と音楽と踊ること」に境がないらしい。鼻歌をうたいながら歩いても、怪しい人になりません。 いいでしょ?

しかしあの余裕はどこから?共産圏で、生活物資は配給であらかた手にはいるから?南の島だから?政治的に不安定で決して裕福な国ではないけれど、うらやましく思うのは間違っているのだろうか。
すごい!

実際、外貨をほしがる人はたくさんいた。だけど、音楽も物も、まだ「消費する」という感覚がないところがうらやましい。
おじいさんも若い子も、同じ音楽をきいて、演奏して、踊る。車は自分でなおす。自分達の文化を愛してるんだって、いやでも伝わってきてしまう。だってみんな上手なんだもの。感激すると同時に、音楽をやるということを改めて考えさせられた。
音楽は消費するものではない。キューバでは、自分のためにあるだけでした。(あ、でもキャバレーはよかったですー。)

帰りにまたメキシコによって、気が付いたことがあった。キューバにいたときは「広告」が目につかなかったこと。
音とは直接関係ないのだけど(ほんとはあるかも)、これは今回の旅で相当な衝撃でした。共産圏だからあたりまえなのだけど、ものすごくきもちよかった。やたら煽情的なコピーや看板が目につかないことが、こんなに居心地がいいとは!お金って、コミュニケーションって、なんだっけと思った。

キューバには電話がほとんどない。でもどの家も、窓やドアが開けっ放しで、みんな仲良しだったからそんなにこまらなそう。隣がでっかい音で低音バリバリにしてサルサをかけてても、問題なし。
日本は携帯も普及して、とっても便利なはずなんだけど、それをつかって友達を見つけようとしたりする。端末が個人レベルまで普及して、インターネットでさらに世界と繋がった気がしているけど、本当に繋がっているのだろうか。

日本にいると、「音楽」や「仕事」がコミュニケーションだということを忘れそうになるときがあります。「かっこいいもの」と「かっこよくみえるもの」がいっしょになってしまったと感じます。

いまもカストロの住居が極秘だったりして、まだまだ緊張感がきえない国なのに、そこで生活している人たちはそれなりに幸せそうに見えたのは、わたしがただのエイリアンだからでしょうか。

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