松野 勉

2001年8月2日から8日のできごと

キャンベルリバー

気がつくとそこは、ウエスタン・レッド・シダーのフィトンチッドに満たされた、小さな空港ロビーだった。看板にはキャンベルリバー空港とある。針葉樹の林に包まれた、日本でいうと地方ローカル線の待合室ほどの小さな建物だ。
場所そのものから滲みだす香りで刺激されてはじめて自分がこの場所に来ていることに気づくくらい、2001年夏のトウキョウの生活は混沌と混迷と乱雑にまみれていた。まだ盆休みに入る前の灼熱のトウキョウでの仕事をなんとかやりくりして、ようやくの思いで抜け出して、この冷涼で体の輪郭をひりひりと認識させてくれる、カナダのブリティッシュコロンビアまでたどり着いたのだった。

今回、僕は初めてサウンドバムに参加した。以前から、タマンネガラの報告会に参加させてもらったり、バムのサイトを見聞きしたりして、少なからぬ興味はあったのだが、なかなか思うように時間がとれなかった。でも、今回は違う。無理矢理強引に意識的に時間を作った。
そのモチベーションのもとには、いくつかの具体的な経験と、それによるカナダ、特にブリティッシュコロンビア地域に対するちょっとした興味とがある。
ひとつは8年ほど前から始めたカヤック。これはこの地域に住む狩猟民族たちにとってなくてはならない乗り物であり、その伝統は現代にも受け継がれている。ブリティッシュ・コロンビアの首都、バンクーバーは現代シーカヤックのメッカなのだ。通勤にシーカヤックを使う人がいるとかいないとか。今回訪れたハンソン島周辺でもシアトルからシーカヤックで来た、という強者に出会ったほど、この地域でシーカヤックが示す意味は大きい。
町のテニス好きにとってウインブルドンが特別な意味を持つように、シーカヤックをするものにとってバンクーバー、そしてシーカヤックの他に比べようのないフィールドとしてのブリティッシュ・コロンビア地域には特別な思い入れがあるのだ。
この他にも、この場所特有の気候に対する体質的好みがあったり、「宇宙船とカヌー」でジョージ・ダイソンが、自作の(これも)シーカヤック、バイダルカでハンソン島を含めたこのあたりを航海する話があったり、以前、バンクーバーの考古学博物館で、膨大な量の先住民たちの民族資料に見入った経験があったり。結構、個人的に、こちらの方から勝手に、ブリティッシュ・コロンビアへの思いを募らせていたのだった。
また、ORCA LIVEのサイトを去年から見ていたこともはずせない要因だ。初めてPCの貧弱なスピーカーを通じてオルカのコールが聞こえてきたときの、打ち震えるような、思わずモニターの前でニタニタしてしまった喜びは、いまでも忘れられない。

そんな思いがあったことを、キャンベルリバーに飛行機で到着してようやく思い出したというわけ。まずはカナダの空気を肺いっぱいに吸い込むことにして、とりあえずキャンベルリバー泊。

移動

次の日は車での移動である。FORDの10人乗りくらいのワンボックスバン。いったい何リッターの排気量があるのか運転している現地ガイドの海老沢さんもわからないくらい、大らかな(大味ともいえる)車に乗って、僕たちは一路、テレグラフコーブへ向かう。ほぼ一日掛かりの移動だ。
テレグラフコーブではオルカ・ウォッチングに出る。30人乗りくらいの中型船でジョンストン海峡に出てしばらくすると船がエンジンを落とす。ここで早くもオルカとご対面。こんなにもあっさりと出会えていいものか、と、とまどっている、こちらの気も知らずにオルカたちは優雅に威風堂々と僕たちを乗せた船の下をくぐっていった。船から降ろした水中マイクから、彼らの声が静かな海峡の上に響く。オルカ・ライブで聞いていたあの声だ。この日はポート・マクニール泊。だんだん町が小さくなる。

翌日、再びテレグラフ・コーブに舞い戻り、今度はポール博士の船、船外機が付いたアルミ船で海峡をゆく。ここから合流したフランス人のボランティアスタッフ、ニコも同乗。
途中、クレイク・ロフト・ポイントを見学。オルカ・ライブの上田さんのサーバーメンテナンス作業のついでにお邪魔した、という感じ。ここはジョンストン海峡に突き出す岬の先端に位置し、観測と滞在用の小さな、ほんとに小さな小屋がある。この日はポールの娘さんのアナが担当。他に、ふたりのボランティアスタッフが小屋の前のデッキを直していた。
ここには、オルカ・ライブにデータを送っているサーバーと、直径2.4Mのパラボラアンテナがある。でも「これだけ?」というのが初対面での実感。薄暗い、たぶん3畳ほどの小屋の中では、ノート型のサーバーやルーターなどの機材が静かに、インジケーターを点滅させていた。

オルカ・ラボ

これらの音は、ハンソン島周辺に沈められた6個の水中マイクからの音声をミキシングしたものだ。水中マイクからラボまでの搬送はFM電波を使っている。
だから、オルカが水中で発したコールは、まず海水を媒介し、水中マイクで拾われ、FM電波で空気を渡り、FMラジオとミキシング機器とコードを通って、小さなスピーカーを鳴らし、ラボ周辺の空気をかすかに振動させたものが、僕たちの鼓膜に届いていることになる。こんなに近くまできても、これだけの媒介を通してやっと僕たちはオルカの声を聞くことができる。すぐ目の前をオルカたちが背鰭を見せながら通っているというのに。物理的な距離とコミュニケーション的距離は思いの外、遠いのだ。

おそらく、主観を抜きにした純粋な音の環境としては、ラボの中が一番いい。ログハウスの木につつまれて、朝日が射し込む中で、空が赤く染まる夕暮れ時、そして必要最小限の明かりが灯る夜中に、僕たちはオルカの声を聞くことができる。それは良質なスタジオで聞く生の音楽のようだ。スピーカーから僕たちの耳に直接届く音だけでなく、周辺の壁や天井などに反射した音も大切な要素なのだから、はるか昔からこの場所を行き来していたであろうオルカたちの声を、はるか昔からこの場所で育ってきた木々を反射板にして聞くことは、音環境としてこの上ない取り合わせだと思う。

夕方になると、ポール博士の母屋に集まって、ポールと奥さんのヘレナ、そしてボランティアスタッフたちと一緒の夕食。ビールにワインにマッシュポテトにサラダにメインディッシュ。店も市場もない島の食事としては、格段のもてなしだ。
緯度が高いせいか、食事が進んでも空はうっすらと光を帯びたままで、静かな談笑の中、静かに食が進む。それでもさすがに夜半になってくると部屋の中が薄暗く、薪ストーブの炎が際立ってくるのだが、一向に電灯が点く気配がない。誰か明かりをつけそうなものだが、誰も動く気配はない。みんな淡々と食事をしビールを片手に談笑している。手元がおぼつかなくなって、お互いの顔が判別できなくなってようやく、ぽつぽつとロウソクが点された。
そう、ここハンソン島では電気はすべて太陽光発電のみ。ラボの機器を動かすことがまず第一で、食卓を明るくするなんて二の次、三の次なのだ。こういう割り切りは心地よい。人にとって何が大切で、何が余分なものか改めて考えさせてくれるから。
テント生活を予想していた僕としては、屋根も壁もある本格的なゲストハウスに泊めさせていただく嬉しい喜びに加えて、手作りの美味しい食事まで用意されているのだ。現に、ボランティアスタッフたちは林の中に点々とテントを張ってそこで寝起きしているし、食事も僕たちのような外来者が来ないときは、屋外の炊事場で済ませている。
暗がりでの夕食だって、嬉しいではないか。一段高くなったキッチンの傍らから届く薪ストーブの木々のはぜる音、スピーカーから聞こえてくるオルカのコール。光が落ちた空間の中で、そんな音の豊穣を聞くことができるのだから。

聞こえないコール/ボランティアスタッフたち

何日目の朝だろうか。ハンソン島についてからはじめての静かな朝を迎えた。天候こそちょっとした嵐があったり、きれいな夕焼けがあったりはしたが、風景やそばにいる人たちにも何の変わりもないのに、何かが足りない気がする。そうだ、これまであたりまえのように届いていたオルカのコールがないのだ。 ラボを覗いてみると、ボランティアスタッフがひとり、ぽつーんとしてるだけ。昨日までは何人ものスタッフが集まって、「これはA30だね」「あっ、今、フラワー・アイランドのあたりに来た!」「今年はじめてのIクランだーーー!よく帰ってきたねーー」などと、この上ないくらいに驚喜の声をあげていたのに。 どうも、昨日までハンソン島周辺をにぎわしていたオルカたちは、水中マイクが届くところから去ってしまったようだ。テラスから覗く双眼鏡には海峡の早い潮流が映るだけで、水面から鋭角に突き上げていた背鰭はひとつとして見えない。

夕食時になっても、あれほど頻繁に聞こえていたオルカのコールは戻ってこなかった。僕たちはどうやら、かなり稀有なタイミングでハンソン島に着いたらしい。テレグラフ・コーブからオルカ・ウォッチングをしたときも、ハンソン島についてからも、僕たちのまわりはオルカのコールで満ちていた。オルカがそこにいることが、コールが聞こえることが、日常として身の回りにあった。 それが、いま、なくなった。

思えば、ポールやヘレナ、そしてボランティアスタッフたちが驚くほどの喜びを示していたことのほうが、当然なのだ。
彼らは交代制で、常にヘッドセットからの音に耳を澄ませている。僕たちが来る前も、去った後も、太陽が降り注ぐ日も、雨の日も、嵐の日も、月がまぶしい夜も。24時間欠くことなくラボには誰かがいて、水中マイクの音に耳を傾け、記録をとり続けている。その間、オルカのコールが聞こえる時間のほうが、圧倒的に少ない。
彼らの日常は、海岸を歩いて流木を拾い集めたり、それを燃料にするために薪割りしたり、掃除をしたり、ラボの建物のメンテナンスをしたり、といった雑務がほとんどだ。ボランティアスタッフとして働いていた者の中には、その退屈さと日常作業の多さなどに辟易してやめていく者も少なくないと聞く。
空いた時間にちょっとだけ、森の中へ散歩したり、本を読んだり、コーヒーを飲んだりする。そんなコピーされたような一日が毎日のように積み上げられている。その間に、ときたま、気まぐれのようにオルカが現れ、どのオルカが来たのか音を通して推定し、記録する。それだけ。何も現れない時間、何も起こらない時間が、彼らの日常のほとんどを占めているのだ。
だからこそ、オルカのコールが聞こえたときは皆、どこにいてもラボに駆けつけ、飛び上がって喜ぶのだ。水中マイクのどれかにオルカのコールが入ってくると、ラボにいるスタッフが林に向かって叫ぶ。「オルカーーー!!」昼夜関係なしに。集まったスタッフたちは、オルカの一声一声に反応して、どうしようもなく笑いこみ上げることになる。

僕はこの、退屈と喜びのバランスをうらやましく思った。日常的な刺激が絶対的に少ない環境で得られる喜びの大きさをうらやましく思った。
僕たち都市生活者は、日常的に様々な刺激に晒されているがゆえに、ひとつひとつの刺激から得られる喜びが相対的に極小化してしまっている。少なくとも、彼らが表していたような大きな喜びの声を、大人になってからの僕が上げた記憶はない。
スタッフたちを真夜中でも飛び起こさせてラボに向かわせるオルカのコールを、僕たちは子守歌として聞き流してしまっていた。コールのわずかな違いを聞き分けて歓喜し、そのひとつひとつに愛おしみと慈しみを持つ感覚を失っていた。それは素直に悲しんでもいいことだと思う。

それにしても、すべての人々が彼らと同じような時間を持つことは難しい。人的な刺激から距離を置き、かつ、生活を維持していくためには、地球は現実の何倍もの大きさが必要だ。少ない人数でウィルダーネスで暮らすことはもはやノスタルジーでしかない。
できるのは、人がかつてそうであった状態から、僕らがかなりの距離、離れてしまっていることを認識すること。そして、僕たちに降り注ぐ様々なできごとの強度を、適切な可聴域に調整できる抵抗調整器を持つことだろう。人によっては、不必要な音声をカットするフィルターも要るかもしれない。

さらに言えば、彼らはもしかしたら、何かの「あとの」過ごし方を学んでいるのではないか。物事が目に見えて更新せず、向上せず、大きなできごとも起こらず、昨日と今日と明日がほとんど同じものとして積み重なる状態は、一方でとても豊かな時間なのではないか。
彼らが歩く森には、驚くほど多用な生き物たちが生息している。ワタリガラス、フクロウ、白頭ワシ、ブルージェイといった鳥たち。鳥たちがとまる、何百年も前から生き続けている針葉樹の数々。その根の間を覆い尽くす、手を入れても地面にたどり着かないほど深く生育した苔、その他の無数の地衣植物。苔の湿った地面を歩く、手のひらサイズの大ナメクジ(生亀さんゴメン、また思い出させた)などなど。いろんなスケールで、いろんな場所で、いろんな営みが繰り広げられている。
それらは「オルカの声を聞く」ということよりも、小さなテーマにしかならないのかもしれないが、同じくらい奥が深く、豊かなものであるように感じられるのだ。そうでなければ、何人ものスタッフたちがボランティアで毎年のようにこの島に集まるだろうか。
これは、単なる来訪者として滞在していた僕だけの感覚なのかもしれない。はるかに長い期間をこの島の環境で過ごすスタッフたちが、それぞれどのように見ているのか、それは彼らだけが知ることだ。オルカが現れるわずかな時間を主体に考えているのか、それを待つ間の長くて一見退屈で豊かな日々を主体と考えて過ごしているのか、それともそれ以外のことも含めて混合された時間を求めているのか、いつか聞いてみたい。

月夜のブローサウンド

ハンソン島での最終日。いまだコールのない夕食を過ごした後、ゲストハウスで僕はこれまでに録音したMDを聞き返していた。ラッパのようなコール、エコロケーションのクリック音、ヘレナたちの喜びの声、朝のハンソン島の鳥のさえずり。静かな夜にそれらの音たちは、これまで何日かの間に出会ってきたできごとと風景を別の角度から見せてくれる不思議な記憶のかけらだった。
ヘッドフォンから流れる音に耳を傾けていると、時間がさかのぼるような錯覚を覚える。聞こえなかった音が聞こえてくる。オンタイムで耳が注視(注聴?)していなかった音が、あらためてパノラマで広がってくるのだ。音のかけらによって僕は、できごとにひとつひとつ名前を付けてあげることができそうだった。

そんなとき、ふと、ヘッドフォン以外からの音を耳が聞きつけた。林の中で、何かを呼ぶ声が聞こえる。ゲストハウスを開けてニコが立っている。「オルカが前の海峡を通ってるよ」と小声で言う。
僕らはいそいそと防寒着をまとうと、ラボのテラスに向かって駆け出した。月が明るく僕らの行く轍を照らし出していた。テラスにはポールとヘレナ、そしてスタッフ一同がすでに集まっており、目の前の海峡をいくつもの望遠鏡でサーチしていた。太陽から発せられた光が宇宙に浮いている地球の衛星に反射し、太陽とは反対側にある地球の面に柔らかい光を落としている。

(ここは是非、オルカのブローサウンドを聴きながら読んでいただきたい)
「・・・・・・ブッフォーー。」
「(オ、オルカだ!ブローサウンドだよ!!)」
「・・・・・・ブッフォーー・・・・・・ブッファッ!・・・・・・」
「(たくさんいるな、ポッドだ・・・・・・)」
「・・・・・・サッパーン!!」

こうしてオルカたちが再び、僕らの目の前に、いや耳の前に現れた。
テラスのスピーカーは、あの懐かしいコールの小さな響きを奏でている。
暗がりになれてきた僕たちの目が、月明かりに照らし出された水面にかすかに動く陰を見つけた。何頭いるのかはわからないが、ブローサウンドを聴く限り、かなりの数が代わる代わる水面をにぎわしていることは間違いない。

日々、淡々と変わることなく進んでいく時間と行為。人間がまだ道具を扱い始めた原始の時代から、彼らは同じようにこの水域を通り、同じように呼吸の音をこの海峡に響かせてきた。僕らはそこから、ものすごく遠くまできてしまったことを思う。
はるか彼方昔から自らの環境に対して働きかけをすることなく、遺伝子を受け継ぎ続けてきたひとつの種にたいする畏敬の念が、痛いほど僕の胸を打つ。
道具を持たなかった種は、もしかしたら僕たち人間のもうひとつの姿なのかもしれない。僕たちがとり得た、もうひとつの可能性だったのかもしれない。

空には月。ラボがある入り江の向こう岸からは、フクロウたちがやりとりする声がこだましていた。考えられる限り完璧に近い、ハンソン島の夏の月夜だった。

トウキョウ

いまトウキョウにいてこれを書いている僕の目の前には、5枚のMDとふたつのウエスタン・レッド・シダーのかけらがある。
MDが奏でる音に耳を傾けると、あのオルカラボの風景が、人々の活動している姿が、ぼんやりと目に浮かんでくる。船の足下を悠然とくぐり抜けていったオルカ、ハンソン島の深い森、林の中でささやくコール・・・・・・。たしかに音は音でしかなくて、実際に足を運んだときの感触とは明らかに異なるのだけど、想像し、思い浮かべることはできる。いまでもあの場所でオルカを待ち続けている者たちがいることは間違いない。
そして僕は、いまこれを書いている世界と、地球上の違う場所でオルカたちを待ち続ける人々がいる世界とが、アナログにつながっていることに思いを巡らせている。この旅で、キャンベルリバーからバンクーバー島を時間をかけて縦断したことが、この思いを浮かばせてくれた。
それをもっと展開してみるといい。ジョンストン海峡の海水と東京湾のお台場の海水は、どこでもとぎれることなく物理的につながっている。ウエスタン・レッド・シダーのフィトンチッドで満たされたブリティッシュ・コロンビアの冷涼な空気と、排気ガスと人息れにまみれた東京の空気もまた、悲しいくらいに連続しているのだ。
これが別の世界だといってくれた方がどれくらい気が楽なことかもしれない。完全に分離されたふたつの世界であったらあきらめがつく。
が、同時に、まったく異なる世界が間違いなく連続していると認識することは、とても大切なことなのだ。これからの世界を前向きに生きていくためにはここからはじめなければならない。

ポール博士は言う。多くの人々にオルカの存在を知って欲しい、ただし、彼らの生活に影響のない方法で、と。そのためにオルカを自然のままの状態で観察することを彼は選択し、水中マイクからFM電波を飛ばし、上田さんらオルカ・ライブ関係者の力を借りて衛星通信とインターネットを通じて音声を世界中に発信している。その音自体は実際にハンソン島に出向いて聴くものとほとんど変わりがないが、臨場感と言う意味ではまったく異なるものだ。
実際に多くの人々が実物に接することが難しくなるほど、人間の数は増え、この地球を変質させてしまった。そのことを悲しみとそれを乗り越えようとする意志を持って考える。これまで地球の環境に働きかけてきた僕らは、これからは、自分たちの方を変質させる必要があるのではないだろうか。
あのすばらしいハンソン島での時間は僕にとって、とても大きく静かな事件だった。
僕は、何よりもボランティアスタッフたちの姿勢と行動に接して、楽しくかつ充実したイベントの「あと」を生きることの大切さを学んだと思う。

エピローグ

僕の机の前にある木のかけらのひとつはハンソン島の海に流れていた厚い木の皮を拾ったもので、もうひとつはゲストハウスの暖炉の燃料になるはずだった薪の切れ端だ。
いま僕は、これらはあのままあの場所で漂い続け、または近いうちに燃やされるべき存在だったのではないかと、少しだけ後ろめたい気分でいる。物質を移動させてしまうとどうしてもこのような後ろめたさを感じてしまうことが多い。
そして対照的に、音を録るということが、何も搾取しないことに気が付かされるのだ。音を録りに行く行為を成立させるためには、ジェット燃料を使ったりガソリンを燃やしたりして、幾人かの人間と機材をその場所に運ばなければならないのだけど。
それでも、場所から何も奪うことなく、影響させることもなく、何らかの価値を生みだす音そのものと、音の旅というものを愛おしく思い始めている僕が、いまここにいる。

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