Vol. 10 中川 真さん

日常の中での、音とのかかわり方

実に個人的な話ですが、自分の父親が70歳ぐらいで、老後のための家をつくりかえたいが、「外の音が聴こえない家がいい」と言うんです。僕は、音が聴こえるほうがおもしろいと思う人間なんですが。中川さんだったら、どうコメントします?
中川:聴きたくない人に、音を聴きなさいというふうには説得しないほうが……(笑)。
父の話を聴いていると、「音っていうのは騒音だ」というイメージがあるみたいなので。
中川:ひょっとしたら、自分の内側の声とか、音に耳を傾けたいのかもしれませんね。
なるほど。
中川:音は、自分の外側と内側にあります。内側の音といえば、生理機能的にさまざまの音がしてますし、心臓の音もときどき聴こえたりしますよね。それから音は、記憶としてわれわれの中に蓄積しています。われわれは空気を吸い込んで生きているのですけど、同じように音を吸い込んでいるのです。それがすごく薄い膜となって蓄積していく。心の中には、そういった、ちりも積もれば山となるような音の記憶が入ってきているわけです。
何かの拍子に、あるきっかけを与えたら、それが音の記憶としてバーッとよみがえってくるわけです。例えばあのとき、あそこへ行ったとき、あんな音がした、とかいう記憶の揺り戻し。思わぬ音が、思わぬ瞬間にピッと立ちあらわれてくる。
僕はポジティブに解釈しているんですが、あなたのお父さんは、その建物に囲む音を聴きたくない、しかし、彼には聴こえてる音があるはずだ、と思うんです。それは自分の内側にたくさんの音を蓄積なさっているのじゃないかな。音から隔てられて音を読む。小説のなかには音を喚起するものがいっぱいあるじゃないですか。辻仁成の小説だとか。あの人には、まさにサウンドスケープのことを調査している人を軸にした小説『アンチノイズ』(新潮社)があります。
元ミュージシャンの方ですよね。
中川:お父さんが辻仁成の本を読むとは思えないけども(笑)。夏目漱石の本を読んだら、そこからいろいろな音がバーッと聴こえてくる。彼の文章の中に。どんどんさかのぼって、『源氏物語』とか、『平家物語』の中の音の世界の中に入って行く。そうすると、例えば平安時代に清少納言なり紫式部がどんな音を聴き、そしてそこにどんな色合いだとか、彩りだとか、意味だとかを感じたのかというのが、彼女たちの小説や日記から、かなり克明にわかりますね。
音はほんとに瞬間的に出て消えてしまうけども、イマジネーションの世界の中に誘い込んでくれる。そうね、あなたのお父さんは、ひょっとしたらそういう世界も持ち得るのじゃないですか。外から音をシャットアウトしても内側で音はいくらでも聴ける。
そうか、なるほど。
中川:必ずしもネガティブにとらえる必要はないと思います。僕自身はガムランのバンドをやっているんですが、ちょうど去年、山の中に古い寒天工場を改築した、80畳ぐらいのスタジオをつくりました。
そこに楽器を広げてやっているんですけど、寒天工場の構造は、ものすごく外の音が入ってくるものになっています。なぜかというと、寒天をつくるときにすごい蒸気が出るんです。そこで、天井とかあらゆるところに空気抜きを仕掛けるのです。その寒天工場がもう20数年間使われてなくて、ボロボロだったのを地主の方と話して、直すから貸してください、と。その中でガムランをやってると、これくらいのすき間が屋根のいたるところにあいているんですけど、音が入って来るのね。冬だったら雪も入って来るんですけど(笑)。
外部音が住居空間の中に、自然に浸透してくる。それは住まいの中にあって外である、という感覚なんですね。つまり、中にあって外にいるという感覚で、すごく好きなんです。東南アジアのほうに行くと、暑いので家は開放的で、オープンである。音楽をやっても、クローズドされたホールのようなところではありえない。基本的には、音楽をやるシチュエーションでは必ずそれ以外の音が入ってくる。音楽はそういうあり方をしているんです。
ガムラン音楽をやっていると、必ず物売りの音や、あるいは犬が吠えたり、飛行機が通ったり、自動車が通ったり、そういう音が音楽の中に入ってくるんです。そうすると、聴き方の問題になってくる。ホールだとかライブハウスだとか、音楽のために囲まれた空間で音楽を聴く、あるいはヘッドホンで聴くことにならされている耳からすると、どうしようもない。邪魔で仕方がない。
寒い感じですよね。
中川:何かイライラしてくる。でも、みんな平気で寝転んだりして聴いている。すごく気持ちよさそうなんです。リラックスして音楽を聴く。鳥の鳴き声、犬の鳴き声も音楽の一部として聴いてしまう。つまり生活丸ごと聴いてしまうわけです。
ヨーロッパのようなものすごく堅牢な建物で生活すると、他人との間のプライバシーがものすごく強くて、音も相互浸透しない。日本はアジアとヨーロッパの中間にあるわけですね。日本の民家の醍醐味は、家の中にいて、障子をガラーッと開けたときに、一気に庭が見えるのと、その瞬間に音がファーッと入ってくる、それが日本の民家の醍醐味なんです。ビジュアルにもアコースティックにも外を開けた瞬間に完全な家となるのです。そういった相互浸透というのは、ひじょうにアジア的というか、熱帯的なあり方なんです。
ヨーロッパでガラスが入ったのがいつ頃か、厳密には忘れましたが、15世紀か16世紀でしょうか、ガラスが入ることによって、音が完全に閉ざされる。そうなると、ストリート・ミュージシャンとかそういった人たちの活躍の場がそれだけ薄れていくわけです。
ストリート・ミュージシャンたちの音を聴いているのはストリートにいる人たちだけでなくて、家の中の人もみんな聴いているのです。物売りもそうです。特に物売りは音を出して通っていく。家の中にいる人が、何か来たから買いに出る。常にそういったストリート・サウンドというのは、道路上だけでなくて、家とのコミュニケーションの中で成立しているんですね。そこが閉ざされてしまうと、ストリート・ミュージックそのもの、あるいは物売りといった人たちの商売はもうできなくなるのです。
だから、住まいと音との関係はものすごく広がりがあって、例えば、お父さんのいってることはすごく先鋭的なことでもあるわけです。なぜなら、宇宙旅行をしたと仮定したら、音は聴こえてこないんですね。基本的に。窓の外から音は聴こえてこないでしょう。そのシチュエーションをお父さんは願っているわけじゃないですか。
まあそうですね(笑)。
中川:地球的なレベルでいくと、僕らはいま、「宇宙の中の芸術」という共同研究をしています。宇宙へ出たときに音の世界はどうなるか。10分、20分ではなく、もっと遠大な時間をもつ宇宙の中に放り出されて、何光年、何億光年といったスパンの中で物事を考えなくちゃいけないところでは、音の芸術あるいは時間の芸術はどうなっていくのか、そういうことを考えています。
もちろん音は空気以外でも伝導します。水とか液体とか金属など、いろんな形で伝導できるけど、少なくとも、いまの段階では宇宙船の外側には、人間に聴こえる音は存在しない。そういった状況の中で、人間はどんな音を楽しみ、あるいは、逆にいえば、やはりBGMでもつくらねばあかんのかとか、そういったことを考えるのです。宇宙飛行士にもたまにインタビューすることあるんですよ。どんな音聴こえるかを。
どんな音が聴こえるんですか。人それぞれ違ったりするんですか。
中川:違ったりするけどね。土井隆雄さんは1年半前に飛びましたが、音の世界はどうだったかと聴いたんです。
宇宙開発プロジェクトではいってはいけないこととか結構ありますが、これはいっていいと思います。土井さんは日本人で初めて船外活動をしました。それはほんとに孤独なものです。それでドッキング作業がうまくいかなくて、2時間ぐらい外で待っていることがありました。そのときに、ボーッと地球を見ていたんだそうです。地球はゆっくり回っているわけです。ところが地球を見てたら、ものすごいきれいな音楽が聴こえてきた。
音楽ですか。
中川:音楽です。それがメロディーとなって地球から聴こえてくる。すごいきれいな音楽だったそうです。それは、基本的にはありえないことです。でも、彼が地球の姿を見て、すごく美しい音楽が聴こえてきたということは、大切なテーマをその中にはらんでいると思うんです。
これも話し出すと切りがないのですが……。これを話すためには宇宙と私たちとか、子供たちの話とか、ものすごく長くなるんですよ(笑)。基本的には、これを話すためには携帯電話の音について話さなくちゃいけなくなるんですよ。
時間大丈夫でしょうか(笑)。
中川:では、携帯電話の話、簡単にまとめて話しましょう。
僕はサウンドスケープ論を中心とした音環境を、単に定量的な研究だけでなくて、定性的なというか、人々がそれを何と受けとり、どういう意味があり、そういったことも含めて研究しているんです。
講演に行ったとき、みんなに聴くんですけれども、特に最近の都市生活の中で象徴的な音、最近加わった音というのは何ですかというと、多くの人が携帯電話というんですね。確かに携帯電話というのは本当にここ10年間ぐらい、特に最近爆発的に出てきて、街を歩けば1分に1回ぐらいはピピピッと音が聴こえてくる。確かに、携帯電話の音がわれわれの音風景の中に馴染みつつある。僕は必ずしも嫌いではないんです、携帯電話の音というのは。ひじょうに工夫された着信音で鳴り始めるたりすると、むしろ好感を持ってしまうほうなんです。
現代から離れて古代の音に飛んでみよう。われわれの千何百年前の人たちはいったいどういう風景に取り囲まれていたのか。
調べていくとすごくおもしろいのですよ。基本的にはめちゃくちゃ静かなんですよね。平安京にしても奈良の都にしても。それは当たり前で、自動車がないから。その中で調べていくと、これは本にも書いたんですけど、都の人たちが伊豆諸島の火山活動、桜島の火山の爆発の音なんかを聴いているんです。それが記録に残っているんです。ものすごい距離、800キロとか500キロの遠くからの音。いま桜島の火山が爆発しても聴こえない。不可能ですね。僕はそれは、昔の人が遠くの音を聴くということについて訓練されていた、あるいは、そういう技術を持っていたというように考えているわけです。
アフリカの人の視力がすごくよい、そういうふうに鍛えられている……。
中川:一昨年、僕が出した本『音は風にのって』(平凡社)に引用したんですけど、「聴く」という字の象形を見てください。人間が耳をいっぱいに押し開いて、遠くの音を熱心に聴いている姿です。これはパラボラアンテナのような形になっていますね。耳そのものなんです。これが聴くという漢字の持っている意味のベーシックな部分です。はるか彼方の音に耳を澄ますということが、聴くことである、ということなんです。
じゃこれはいったい何を聴いているのか? 実は神の声を聴く姿なんです。500キロとか1000キロではない、はるか彼方です。つまり地球を超えているわけです、おそらく。そこで、かすかにささやかれている声ならぬ声を聴く、必死な姿です。これが聴くことの原点である。そしておそらく、僕は人間の耳というのは、だんだん遠くの音を聴かなくなってきた歴史なんではないか、と。そして、いまとうとう携帯電話に到達した。携帯電話は音源と鼓膜の間が約1センチか2センチぐらいですから。千数百年前の人たちは、500キロ、800キロぐらい遠くの音は聴いていた、聴こうとしていた。そして、いまや……。
はじめに、人間は音の体験を全部蓄積するというお話がありましたが、今まで中川さんの体験された音体験、強烈なこと、印象に残っていることがありましたら、お話を聴かせていただきたいんですが。
中川:山ほどあるけど(笑)。
4年ぐらい前の『東京人』でサウンドスケープの特集を田中優子さんとお話しされたのを拝見したら、バリ島に行ったときに、右手だけトランスしてしまった、というくだりがあって、おもしろいなと思ったんです。
中川:おもしろいですよ。
右手だけがトランスしてしまうとは、どういう状況なんですか。
中川:こういう状況になるんです(右手をワラワラと動かす)。自分の意思でなくて動き続ける。ゲラゲラ笑われました。バリでトランスというのはめちゃくちゃポジティブですから、トランスに入ると周りの人は喜ぶ。 うれし過ぎて、泣いたりという人もいっぱいいます。
バリには、サン・ヒャンというトランスの遊びがあるんです。女の人が歌を歌う。その輪の中に入っている人は、歌でトランスになっていく。そういう過激な遊びです。トランスになったら、前後不覚、何するかわからない。僕はたまたま右手だけなってしまった。そのときに聴こえていた歌がトランスを誘発する歌なんです。しかし、それをこの日本で聴いても絶対トランスにならない。バリというひとつのセッティングの中に入らないとだめなんです。
トランスというのは文化的な行為なんです。それはあくまでもシチュエーションに従って起こるものです。だから、バリ人でもトランスにかからない人はいっぱいいるし、日本人でもトランスに簡単にかかる人もいる。僕はしばしば学生をお祭りに連れて行って、いちばんトランスにかかりそうな場所に座らせてみて、そしてビデオを構えていて、学生がトランスにかかっているところを撮るんです。そういう悪い先生です(笑)。
そういった学生に、おまえどうだったかと、レポートを書かせるんです。それについては『気持ちいい身体』(PARCO出版)に書きました。学生に聴いたら、音がかなり大きな比重を占めていて、グーッと頭全体が割れるように音が大きくなっていく。
聴こえている音が?
中川:ガムランです。それが大きくなっていって、アレー、どうしてーという感じ。そのときは自分もトランスになるとはわかっていないんですね。なんでこんなに音が大きいのーっ、うそー。ガムランがそばに来たのかなと思っても、ガムランは遠くのほうにある。だんだん音が大きくなって、徐々に今度は真っ白な真空状態のようなものがポツンとできて、それが広がっていくのです。頭の中が真空状態。
コワーッ。
中川:そうすると今度は音が完全に聴こえなくなってしまう。その音が聴こえなくなって、真空状態が完全に広がった瞬間にトランスに入ります。トランスに入ってしまったら、音も聴こえないし、自分がどういう状態だったかも記憶にありません。確かに音とか、お香の匂いなどがメディアになるけども、最終的にはトランス状態のときには音は全然聴こえていない。バリ人にもインタビューしたんですけども、大抵そんな感じですね。
逆に言えば、別にそこにガムランがなくても、畑の中で仕事をしていて、ガムランの音を思い出してトランスになる人もいる(笑)。彼らは薬物を一切用いないでトランスに入っている。それはすごいな、と思います。バリ島の中のお祭りとか、トランスにかかった人が、神の代わりにいろいろとしゃべったりするわけです。みんなはそれを神様のお言葉として、ありがたい、ありがたいといって聴くのです。
その村でずっと聴き取りをしていて、あのときの神の声だとかトランスだとかが、村では最も聖なる音の頂点にあるのか、と尋ねたら、村の人は違うと言うんですね。じゃ、最も聖なる声は何の音なのか。それはまさに神そのもの声だけど、それは絶対聴こえない。しかし、神のお守りをしている動物の鳴き声だったら聴こえるかもしれない。それがこの村でもっとも聖なる声である、と。それは何の声かというと、トラの鳴き声です。ウオーッと鳴く声、これが最も聖なる声。インドネシア語でハリマオというのですが。
じゃあそれはどこに行けば聴けるのか。村の人もほとんど聴いたことがなくて、どうも山の中のバリ島の標高1000メートルぐらいのジャングルの中にひとつの大きなお寺があって、その奥の院の祭壇の前で、真夜中の午前0時にひとりで行って、そこでお香をたいてお祈りをしていると聴こえるかもしれない、といわれて行ったんですよ。
ほとんど、肝だめしですね(笑)。
中川:村人も、おまえ本当に行くのかと。でも行ったんです。とにかく僕はそれをどうしても聴きたい。その村に2カ月ほど生活していて、もうあと数日で帰るというときに情報を得たので、今晩行くしかないと。若者にお願いしてオートバイで連れて行ってもらいました。道を上がっていると、なぜか雷、稲光がボーっとするわけ。
うわ、はじまってますね!
中川:ナニコレ、むちゃくちゃ怖いなと思った(笑)。 オートバイの彼は、もう帰りたいとか言うんですけど、ダメダメと(笑)。
山のほうから寺院に入って、寺院にはいくつかの敷地があるんですが、そのいちばん奥の祭壇まで行きました。すごく大きな寺院なんです。夜中にはもちろんだれもいない。手前の門には受付の小屋があって、オートバイで来た彼は、ここで待っててあげる、と。僕は、そこから何百メートルかずっと奥のほうに入って行きました。全部ジャングルですよ。夜の11時ぐらいだったのかな、供物をいっぱい持って行って、お香をたいて、ひとつだけランプをつけたんです。「かしこみ、かしこみ。音よ来てください。神様、音を聴かせてください」とお願いしました。真剣にお祈りしたんですけど、30分ぐらいしたら様子が変なんです。これが怖い。
嫌だなと思っていると、11時50分ぐらいに、虫の鳴き声がグラデーションがかかるように変わっていったんです。嘘みたいな話なんですけど、ほんとなんです。ウーッとうなっていた犬が一列に並んで、ゴクッと首を垂れてしまって大人しくなる。祭壇にかぶされていた布が、風もないのにパラパラはためきだして、「これは出るぞ」と思った。
10分後ぐらいに、森のほうから「グワッ」という声が聴こえだしたんです。ものすごい重量のある動物の鳴き声。常識的に考えて、こんなところにトラがいるのはありえない。でもとにかく聴こえたんです。グアッと。10秒に1回くらい。僕は3回ぐらい聴いて逃げ出したんです、怖いから(笑)。 そしたらさっきの彼もいない!食べられたのかなと思って(笑)。もう、「バリ島なんとか殺人事件」という領域に達していて、必死に捜しまわったら、彼もその辺走っていて、中川さんがいない、食べられたか!と思ってたと。お互い食べられたと思った。
しかし彼は泣いているんです、涙だしながら。「どないした」と言ったら、「あれは幻の声で、神の声だ」と。「あれを聴けたのは本当にラッキーなことだ」といって。でも「怖いやろう」と言ったら「怖い」と。まだ10秒に1回グワーッと鳴いているんです。今度はふたりで祭壇まで行って、とにかくお祈りした(笑)。20分ぐらいで、だんだん音が近づいて来たんですけど、それがまた遠ざかって行って、ジャングルの中へ消えていったんです。
村へ戻ってきたら、「それは本当にハリマオの声だ。それを聴いたおまえには、すごくいいことがあるだろう」と言われたんですが、いいことあったのかな、と思っています(笑)。

中川 真(なかがわしん)

1951年生まれ。京都大学卒業、大阪大学大学院修了(芸術学)。現在、京都市立芸術大学助教授。
専攻は、民族音楽学・サウンドスケープ論・現代音楽論。
著書に『平安京 音の宇宙』(平凡社、1992年)、『音は風にのって』(平凡社、1997年)、編著に『小さな音風景へ--7つのサウンドスケープの旅』(時事通信社、1997年)、共著に『音が織りなすパフォーマンスの世界』(昭和堂、1987年)、『民族芸術学序説』(日本放送出版協会、1987年)、『ポストモダンとエスニック』(勁草書房、1991年)などがある。 サントリー学芸賞、京都音楽賞、小泉文夫音楽賞などを受賞。