回顧と前進
第7話 燃える独立心-2
老占師のことば ~ 言葉には不思議な暗示力 ~
ピックアップの部品手配や、スピーカーの修理に必要な部品集めのために、私は東京と大阪の間を月に何度かは行き来していましたが、そんなある日のことです。
大阪での仕事もほぼ片づいて、夕飯がてら南の水かけ地蔵で有名な法善寺横町をぶらぶら歩いていました。
すると、行灯(あんどん)を灯した手相見が、所在なげに腰掛けに座っていました。
顔中しわだらけで、白い髪を長く垂らしたお爺さんでした。
私が近づくと静かに顔を向け、やせ細った手を出したのです。
福音電機社屋前で。前列2列目左から6人目、7人目が松本夫妻
(撮影時期など詳細不明)
黙って私の手を見ていた老人が、
「ほほう、これはいい手相ですな」と言って体を前へ寄せてきました。
「あんたは、偉い運勢を持っていなさる。順風に帆をあげる、正に好機到来の吉運じゃ」こんどは左手をとってつくづく眺め、そう言うのです。
そのあと、私の名まえを聞いて、
「姓名もまた、大吉の祥がありなさる。陰陽からいっても、天地の画数からいっても、申し分のない姓名じゃ。衆望を集め、人の長となり、晩年になるほど運勢はますます開けてくる」感心したように私の顔をまじまじと見つめ、そう言いました。
私は、はじめ本気で聞いていなかったのですが、この老人のおかし難い雰囲気に圧倒されて、だんだん自分が、この老占師に言われている通りの人間になっていくように感じ出したのです。
不思議な暗示力です。
言われてみると、まんざらでもありません。これだけいいことずくめの話を聞いて、50銭では安すぎるというものです。
それ以来、私は手相も人相も、姓名判断も見てもらったことはありません。
別に、この日の占いの結果を後生大事に信じているわけでもありませんが、もし、こんど見せた時、全然反対のことを言われた場合のことを考えますと、やっぱりいやなのですね。
老占師の言葉を思い出すたびに、言葉というものは、恐ろしいものだと、つくづく思います。
不用意に発せられたひと言によって、ある人は絶望し、不遇の一生を終わる人がいるかもしれません。
“初めに言ありき。言葉は神なり”という聖句がありますが、本当にそうだと思います。
特に、指導者や経営者の立場としては、決して人間の格付けをしてはいけないと思っています。
人間の一生を、不完全な人間が分かろうはずはありません。
断定的な否定の言葉を投げかけてはならないと思います。
それよりも、その人に希望と夢を与えるような言葉を使うべきだと、私自身、常々思っております。
ところで、話を前に戻しますが、スピーカーの修理仕事だけでも大変なところへ、ピックアップを組み立てる仕事が新しくふえたのですから、忙しさはそれこそ猫の手も借りたいほどでした。
そこへもってきて、さらに仕事が一つ増えたのです。
巴商会の筋向いに、小森無線という受信機メーカーがありました。
そこから
「小型スピーカーをつくってくれないか」という話が持ち込まれたのです。
小森無線は、メーカーというにはあまりにもちっぽけな、兄弟二人でラジオの製作をしている町工場でした。
この時代のラジオは、もうスピーカーと受信機とが別々になっているものは無くなり、ケースも金属から木製に変わり、スピーカーも内蔵になっていました。
これを、当時は“ミゼット型”と呼んでいました。各社とも、デザインは思い思いの趣向をこらしていましたが、このミゼット型にほとんど変わってしまっていたのです。
その頃、小森無線は特にミゼットを小型化するために、私のところに4インチのスピーカーを作ってくれと頼んできたのです。このラジオは、少し大きめの弁当箱ぐらいの大きさで、真空管は小型のものを4本使っていました。もちろん、トランスレスです。
何事も頼まれますと、好奇心がひと一倍強くしかも欲の深い私は、なんでもすぐ引き受けてしまうのです。
すぐ大阪に飛んで行って部品を集め、小森無線さんの注文に間に合わせることができました。