回顧と前進
第11話 音の入口から出口まで
コンサート・キャラバン ~ 全国津々浦々、音のレジャーを提供 ~
レコードコンサートへの協力もその一つでした。
昭和28年、オーディオマニアの草分けの一人でもある伊達 陽君が当社に入社した頃、東京・八重洲のブリヂストンホールでレコードコンサートが開かれていました。
このレコードコンサートは、ブリヂストンタイヤが企画し当社が協力していたのですが、そのうち音楽愛好の士が集まってきて、いろいろと支援してくれていました。その中には、ピックアップの朝倉 昭さん(グレース)やアンプの富田 嘉和さん(富田音響研究所)などもおられました。
市民会館などを利用して行われたステレオコンサート
しかし、このコンサートはブリヂストンタイヤの文化活動の一環として催されていたものでしたから、当社の伊達 陽君やレコードを提供してくれていたハルモニアの鈴木 邦夫さんなどが提案して、これとは別個にわれわれ関係業者のグループだけでもっと専門的な定期コンサートを開こう、という話がひろがっていったのです。
コンサートの名称は「ミュージック・エンジニア・グループ」の頭文字をとって、「MEGコンサート」とつけました。解説書とプログラムは伊達君と鈴木さんが作成し、音楽評論家として著名な藁科 雅美さんに解説を引き受けてもらったのです。
こうして、昭和28年(1953)暮、旗揚げコンサートを行いましたが、入場料を50円とりました。
これは無料にすると、子供さんたちがたくさん入ってきてしようがないからということからです。
コンサートは大好評で、その後、毎週金曜日に有楽町のビデオホールで定期的に開かれることになり、昭和35年(1960)まで延々と200回近くも続くことになります。
当初はLPを聴かせるだけで、お客さんがたくさん集まったものなんですね。
この頃、洋盤のLPレコードは、外貨の割当もあってなかなか手に入りにくかったんです。
たまたま、放送局関係のレコード輸入の仕事をしていたハルモニアの鈴木さんが協力して下さっていたから、できたようなものです。
LPレコードに対する関心は、都会ばかりでなく地方でも強いものがありました。そのため、当社としては地方都市にもこのMEGコンサートを持っていきたかったのですが、メンバーの都合とか協力各社との関係もあってなかなか実現できなかったのです。そこで、当社ではこれと併行しながら、独自に“パイオニアコンサート”と銘打って地方でも開催することにしたのです。
この頃、当社では大阪営業所を開設するなど、地方の販売網を着々と拡張しつつありました。
したがって、コンサートの地方開催により音楽ファンやオーディオファンの要請に広く応えると共に、あわせて当社のPRもしたいと考えたのです。一方、LPに強い関心を持つ音楽ファンが増えるにつれて、町には“音楽喫茶”がどんどん増えていました。
どこが一番早かったかははっきり覚えていませんが、思いつくまま名前をあげてみますと、八重洲口の「上高地」、「紫苑」、御徒町の「寿苑」、「シマ」。
この「シマ」では“PA-6”を48本、“PT-1”を4本も使用した、富田音響研究所設計によるちょっとユニークな設備をしたものでした。
上野の「ローマ」では“PA-6”を150本も使ってくれました。
このほか、新宿には「でんえん」「らんぶる」、それに「木馬」はジャズ専門です。
タンゴ専門では、神田に「ミロンガ」という音楽喫茶もありました。
こうした一般の音楽に対する強い関心が背景になって、パイオニアのLPコンサートも盛況を極めていったのです。初めのうちは再生装置もそう大がかりなものではなかったのですが、そのうちエスカレートしていき大型のツウ・ウェイ・やスリー・ウェイのシステムを4本も6本も使うようになっていきました。そうなると、こんどは運搬が大変です。ついにはトラック2台に装置一式を積んで社員4、5名が各地を巡回するようになりました。
担当者の瀬高 尚武君や運転手の長谷川 哲夫君などは「これじゃ、まるでドサまわりだ」などと言っていたものです。時には、宣伝用に特別改造したトラックで、1か月間ぶっ続けでコンサートをして回ることもありました。
現地に着くや否や、まずビラ配り、ポスター貼りです。
地方のお得意さんも積極的で、なかにはお店の車を宣伝カーに仕立ててPRしてくれるなど、骨身を惜しまず協力してくれました。会場は、主に市民会館など大型のホールを利用しましたが、客は学生さんなどヤングが大半です。しかし、地方ではまだレジャーも少なかったし、もの珍しさも手伝ってかお年寄りの方もかなりきてくれました。
このコンサートは、その後、昭和34年(1959)からは“ステレオコンサート”に衣替えして、つい最近の49年秋頃まで続きました。
それこそ北は北海道・旭川から南は九州・鹿児島まで、年に一度は必ずキャラバン隊を編成して全国各地を巡回したものです。
これによって、ユーザーはもちろんのこと、販売店の方たちにもパイオニアの知名度を高めるのに大きな役割を果たしました。
その後、同業メーカーでもこの種のコンサートを競って開催するようになっていきましたが、これも当社のコンサートの成功がきっかけになったのだと思います。